どうやったら出来るのか。それを考えている時が一番幸せである。出来ないことを上から目線でねちねちと叱り続ける上司もどきが多いが、そんな輩は作業人であって、仕事をしたことは無いのだろうなと思ってしまう。経験で出来るようになったのなら、それをそのまま伝承して、皆が同じレベル感で作業が出来ればそれで良いでは無いか。ところがそんな輩に限って、経験値の私物化に走っていく。現状の自分を越える作業をしようとも思わない。哀れなお話である。
何かを成し遂げる、当初に設定したゴールに到達することは容易な事では無い。夢を描いて進んでいくわけだから、当然の事ながらハードルは極めて高く、そして足を引っ張る方々に囲まれているから容易なことでは進められない。紆余曲折、一歩も進まず三歩下がったりしてね。チーターもびっくりだ。それでも諦めないで粘り腰で踏ん張っていると、なんとかなっていくものだ。まぁ、相手にも依るけどね。
結局、思った通りに成らなかったなぁという時は、まぁ、諦めることにしている。いつまでも引っ張っても草臥れるだけだからね。面倒だからやりたくないという人とは組めないね。しかし、それはやっていながらでないと見えてこないのが欠点である。突然「あっ、この人は実はいやいやながらの参加だな」って何処かで見えてきますよね。二枚舌で見事に騙される。基本、性善説で生きているので、この手の方は苦手なのですよ。
夢に向かっていると挫折がある。挫折が無いような夢なら見ない方が良い。自分を育ててくれるレベル感の夢を見ないといけない。そこには必ず挫折がある。だって夢だもの。夢を見ない人は、夢を見ている人を見守ってやらねばならぬ。必死に足を引っ張るのは止めて頂きたい。文句は誰でも言えるが、夢を見て進む勇気はなかなか湧いてこない。恐怖で一杯だ。その者を尊敬し、見守ってやるのが良い。そうでなければ君は一生、卑屈未練である。