ゼロの国

雨は天の恵み。連休初日に何処かに行こうかと思っていたが、大雨となって何処にも行かず。それ故にのんびりと骨休めが出来た。こんな時こそ必要である。まぁ、骨休めと言っても不断よりはのんびりと思考し、BGMの中、キーボードを叩くみたいな過ごし方なのですけどね。切羽詰まらないといろんなことを考えるもので、それが休日の価値という事なんでしょうね。ちなみに暢気な休日に最初に聴く曲は決まっている。だから余計に楽ちんだ。選ぶ必要もない。

その昔は飛び石連休とか言って、大型連休なんて概念は無かった。土曜日の授業が無くなって、4日が休みとなり、何日か休暇を獲得すると大きな連休となる。日本人は勤勉だと言われるが、確かにその一面はある。勤勉なのに給料は上がらず、物価だけ上がる国になっているのは何故だろう。原材料が高騰しているのに商品の価格に転嫁出来ない。必死に自国通貨の価値を下げたがる一味によって、資源活用のお仕事は上がったりだ。これをどのように捉えればよいか。国内資源を精査し尽くして、新たなモノづくりに挑めという事か。それも良い。

電力という極めて便利なエネルギー源を熱から取り出している現状から変えねばなるまい。何を作るにしても動力が電気エネルギーであって、それが海外由来の化石エネルギーから変換されている以上、それらがシャットアウトされたとして、この国で何が出来るのか考える必要がある。簡単ではない。しかし、そんな極端な考え方に立たないと、何をなすべきかが見えてこない。その状況において、世界から買いたいと言って頂ける「何か」を作り出さない限り、この国の未来は無かろうね。

食糧も入手できない。エネルギー源も無い。下手をすれば永遠に休日となってしまうかもしれない。人間だから知恵は生み出せる。しかし貧すれば鈍するに陥るもんだ。観光させてお金を還流させるくらいが関の山だ。投資をしろと叫んでいるが、貨幣価値がゼロの国家の企業に誰が投資するのか。リアルな投資価値を作り込んでいかないと、仮想も成立しない。単純では無いが、ゼロから数字を生まねばならない。そんな切羽詰まった国なのだなと、休日になるとしみじみ思う。