宝箱

思い込みの際たるものが、「この研究成果はこの分野を飛躍的に改善する」というもの。最終商品を作っていらっしゃる企業との共同研究での新規開発で、アウトプットが決まっていれば、それはそうなんだけど、思い込みの研究では、案外、そうはならないものだ。柔軟に考えて、こんなところに使えるのではないかしら、あれとこれとそれと・・くらいの柔らかさが必要だ。この分野をなぁんて思っていると、思考視野が狭くなって、折角、世の中を変えるかもしれないのになんの役にも立たずに消えていく。いや、研究者の自己満足には十分に応えるか。

自分の胸に聞いてみてもそうだもんね。そりゃぁ、自分へのモチベーションとして「こんな役に立つだろう」というところで研究テーマの構築に入り、様々考えて出発するわけだ。数年経って論文等になり始めて、科研費が当たって。それで研究が進むのだけれど、学理の探求なので、仮説をこのような手法で検証し、因果関係も明らかにして、科研費の報告書を書いて。それで一つの研究テーマがゴールを迎えるわけなのだけれど、一時、大学に知財を獲得せよ!と親方が叫んだ時期があったのだけど、知財獲得に繋がる成果は存外少ない。それに興味が無くて学会等で発表するということもあるのだけれど、類似のものがあり過ぎて、知財認定されないものも多くある。

ここが考えどころで、「世界で初めてだ!」と考えて進めたのだけれど、時代のスピードに追い越されて、それを包含する研究テーマが立ち上がって、ゴールまで行ったのだけれど、全く新しく無かったということになってしまう事も多い。ところがだ、学理の探求の結果、仮説検証が出来て自己満足で封印されている成果だとしても、それを現代の科学技術によって社会実装出来るものって沢山あるのだ。それをきちんと掘り起こして、社会に展開していくと、それは一つの大学に留まらず、世界的に見てもとても多くの資産が眠っていることになる。

ハゲタカ企業殿は「売れる成果を無償で盗んでいく」わけだが、そんな連中は相手にしないように気を付けないといけないのだけれど、知の探究側も、探求した成果をしっかりと棚卸をしないと、それこそ税金泥棒のそしりを免れない。そのあたりを地道にしっかりやっていって、社会との共創を目指している大学と認知して頂きたい。そう思っている。