今日では無くて昨日のお話で恐縮である。
文科省のお仕事が終わった。帰りの新幹線は唯一のご褒美時間と捉えている。時刻的にメールがじゃんじゃん入るし、季節柄、A席に居る小生には西日のアタックが厳しい。某省庁との「友好的対話」(としておこう)が一段落し、次の提案を定量的に思考しつつ、落陽に向かうN700のなんと勇ましいことか。まもなく日没であるのだが、小生の心の中では日没など一度も無いのだ。宇宙空間に漂っていると、常に何処かの太陽が、眩しさを演出してくれる。そんなもんだ。
オブラートに包まねばならないところがもどかしいが、我が国の置かれた状況は極めて厳しい。この戯言に対しても、複数の某省から「お手柔らかに」と言われてしまうと「このすっとこどっこい!○○○×△□・・・」と言いにくい。大人になったもんだ。腹立たしいので、Y先生が機構長弟子の戯言とか言っちゃって、天下煽動組織への辛辣な暴言展開があればよろしい。密室では言うのだが・・・なんて自分が悲しくもある。
そもそも論だが「○長のたわごと」は、平成5年にNiftyServeで始まった愚痴掲示であって、今ならツイッターみたいなものの先鞭かしら?よく解らないけれど、学者があるべき姿と言うか、てやんでぇべらぼうめぇみたいなスタイルでスタートしたものだ。某出版社がそれをトレースしていて「今こそ紙媒体で!」・・冗談では無い。
霞ヶ関のビルの一室では、間違いなく国を憂いている民が未来に向かって議論している。その隣どころが現場において、「忖度」という単語の元、自ら命を絶つ程のことが起こっている。有権者よ、人の命が絶たれても、将来につけを回して作った銭に頭を下げるか。極僅かな人生を基準として、うごめく若者に釘を刺し切り捨てるか。小生も同様である。自らの無能を恥じ、若者の新しい社会にエールを送ろうでは無いか。しかしそこに言いたいことがある。小生の首を欠き切ってみよ!逆下克上を受けるが宜しい。応援する。そう言えないベテランは退場の季節である。世界の流れだ