平均寿命が30歳台だった縄文初期からすると、1万年掛かって80歳台までやってきたわけだ。こうするとじわじわと伸びたように騙されてしまうが、栄養的に満たされた1970年くらいから一気に伸びているわけだから、栄養と健康管理の相乗効果で今後も伸びるのかもしれない。とは思うのだが、反面、目指すところがあるから伸びたのかなとも感じるのだ。現世現役時代の我々にとっては年金なんて90歳以降しか支払いませんよとなるのだろうが、1970年台で50歳くらいで、もう直ぐ定年、悠々自的な世界が待っているってなったら、気合いも入ったのでしょうね。
トヨタがレースステージから一般公道用に水素燃焼エンジンを下ろしてくるという。いつやるのかなと思っていたら、想像するに相当に前倒しなのだろうなとは感じるが、面白い試みである。技術的に相当の壁があるとは思うのだが、人が移動する喜びを獲得し続け、地球温暖化抑止という観点と合わせた答えとして面白い。水素を発生させるところのエネルギーまで含めて、ゼロカーボンなら良いのだが、途中でアルコールだのなんだのを大気中に出しているようではインチキだから、きちんとマスコミは監視せねばならぬ。見せかけの環境対応には飽きている。
バイオマス発電なども聴こえが良いのだが、山に苗木を運び三十年以上掛けて育て、間伐し、それを乾燥させチップ化し漸く燃焼、発電。発生する熱も含めて仕事への変換効率が85%を越えるとは言え、それは完璧なチップが投入されて、発電するところまでだから納得してはならない。炉から排出される廃棄物処理、メンテナンス等を含めていくと、60%は切るのでしょうね。これは適当に言っているからわからないけれど、トラックを動かす燃料を産油国から運んで、ガソリンに精製してなんてプロセスを考えると失われたエネルギーはどれだけに上がるのか。
地球温暖化どころか公害病だって知ったことかと、自らの人生を謳歌するだけの世代の方々の、負の部分だけが受け継がれ積分されて利息まで産んでいると感じる。運転しながら高校の先生がゲームをやって、人を轢き殺す時代である。仮想世界の向こうにしかビジョンが無いのかもしれない。そう思うと、僅かながらの続けられる趣味を持っているというのは幸せな事なのかもしれない。道路工事がやたらと増えて、選挙が近づいている事を実感する。生きていることだけでも素晴らしいと実感できる、それには教育が必須である。その教育はどうあるべきか。台所が火の車の大学の経営者が集まって、どんな意見を出すのやら。そんな日である。