趣味をお持ちですか?

つい先日、中古LPレコードが高嶺の花になりましたよという記事を読んだ。これまた書評欄にてSPレコード云々という新刊本の登場を知った。購入する気は無いのだが、30cmの円盤が見直され、古い記録の再生を趣味とする方が増加傾向にあることに驚かされる。書斎の頭の上にずらっと並ぶLPレコードやSPレコードが地震の時に降ってきたら恐ろしいなと、対策は取ってあるものの、何トンもの荷重がそこにはかかっているわけで、まぁ、これに潰されてあの世に行くなら、あっちに行っても音楽には事欠かないなと悟り切っている。

音の記録方式は様々に成され、デジタル技術が生まれる前は当然の事ながら、空気の振動を機械的振動に変換して、記録媒体に刻み込んで行ったわけだ。エジソンが硬質蝋を開発し、ダイヤモンドの針で記録・再生をする手法を作り上げたことはよく知られている。小生の師匠宅で記録・再生を体験させて頂いたことが懐かしい。今でも機械として現役なのだ。樹脂など使わない、経年劣化が極めて少ない素材を用い、丁寧に加工された機械だからこそなのだ。そしてそこに刻まれた音楽は今でも再生できるのだ。

戦争という悲劇がそれらの多くを灰塵にしてしまい、特に蝋管などは温度が上がれば溶けてしまうわけだから、失われた文化的記録が今に伝わればどれだけの価値を生み出したのかわからないが、今でも、小生のオーディオのメインマシンは1924年製の蓄音機だし、SPレコード群もその輝きは色褪せない。色褪せるどころか、その音の魔力は深山の木々の囁きに勝るとも劣らない。オーディオ装置も何やらべらぼうに効果になってきて、それこそオルソフォニックビクトローラ登場期に戻るのではというくらいの王様の趣味みたいな様相だが、それはあまり好ましくない。貴族のホールの音楽を大衆にという趣旨は捻じ曲げてはいけない。

今はデジタル化された音楽を、それこそ検索して気軽に再生できる様になって、本当に素晴らしいことだと思っている。どうせBGMなら何でも良いと、余程のことが無い限り「板」を購入することはしないのだが、中古レコード屋さんで朽ちていくよりは多くの人に、本来のアナログの空気振動を感じて頂きたいと思っている。それが楽しむ趣味であって、入手した板を高額で取引しようなどという嫌らしい方向性に向かわないで頂きたいとも思う。少なくとも命がある限りは楽しんでいきたい。そんな趣味に出会えて幸せだと思っている。