仮説

研究っていろんなスタイルがあるけれど、小生の場合は、夢、仮説、検証、挫折を繰り返す。検証の仕方も仮説に満ちているから、何が正しいのかなんてことは、神様しか知らないというのが安気で良い。誰にも迷惑が掛からないだろうなということに挑戦していて、しかもたかが人間がいきついた夢なのだから、実現できるに決まっているのだ。決まっているのになかなかそこに辿り着かないのは、間違った仮説の元で動いているか、夢がしょぼすぎて、近づいては無意識に夢のレベルを上げていて、馬の人参の如く、永遠に近づけない距離にそれを置いているかのどちらかだ。

物価を上げたい総裁さんなんだけど、国民がそれを許容しているという仮説は頂けない。買い物は奥さんがやっているから市井のことは知らないと、胸を張っている人が日本の金融のトップに居るわけだから恐ろしい。まぁ、霞が関一帯がそののりだから、まぁ、今さらと言う感じだけどね。1$が130円以上と言うのが固定されてきたけれど、まぁ、それでもよくぞ保っているなと感じる。日本のものを買って下さる海外の皆様がいらっしゃるということなのだなと、ものづくりの現場の方々に感謝するばかりである。

原料が海外からしか入ってこなくて、それを加工して買って頂くわけだが、その構造は今後も変わらないだろう。だとすると、同じモノづくりでは無く、無限に進化し続けないといけない。Apple社が独自設計のプロセッサで画像処理が高速化しましたという、バーチャル空間の扉がいよいよパソコンサイズの端末に降りてきたのだなという状況に置いて、我が国はどれだけ仮想空間の経済を学んでいるのだろうか。円がどうの、ドルがどうのという、国の支配下にある貨幣の価値を云々している場合ではなくなるだろう。いや、もう一部ではそうなっている。

国民は値上げに耐性があると、コロナ禍と物価上昇を同等に扱って良いという仮説が凄まじい。内閣不信任だとか議長不信任だどか言う前に、ちゃんと国の仕組みを世界の中の日本と言う概念で、国家が進むべき道、教育の道の仮説をしっかりと立てて、それを選挙の判断にして頂きたい。エビデンス無き仮説を、感傷論(最早感情論では無い)で押し付けられて、それを何処まで我慢し続けられるのか。幼児虐待とかね、普通では無いことが日常のニュースになる国である。ニュースになっている内はましか。そんな恐ろしい国である。