少なくともCo-Being

内閣官房の教育未来創造会議において、在りたい社会像が述べられているのだけれど、今更ながらの「一人一人の多様な幸せと社会全体の豊かさの実現(ウェルビーイングの実現)」とある。古すぎる。未来を支える人材像には「自分自身で課題を設定して」という旧態依然の課題が掲げられる。この辺りに驚きが見られないところに、我が国の研究と教育の退廃の具合が見て取れる。主導しているのが首相殿だ。

一人が良ければそれで良いというウェルビーイングはもう古いと、Co-Beingだと提唱され始めているわけだが、それすら、近江商人の三方良しより遥かに後れを取っている。鎖国において自らの能力を他の方に最大限に活用して頂くためには、三方良しの考え方を徹底しないといけないのだ。世界のGDPに占める割合が5%強しかない我が国が、世界に向けてプレゼンスを発揮するには少なくともウェルビーイングでは無く、Co-Beingだ。

生涯にわたって学び続ける社会へという問いかけに対して、日本では約半数の企業は、自社の社員に対して社外学習・自己啓発を行っていない。これは先進国分類の中で最低。企業による人材投資が最低という事にもマッチしますな。日本は成人学習参加率も労働生産性も少ないと言って、ほったらかし。知恵を付けると上司が威張れないとか、その程度の体たらくなのだとは思うけれど、余りにも情けない。

Co-Beingに至るには、同一の価値観を持った人達が集まる場が必要である。目的では無く価値観で考えねばならぬ。しかもそれが独裁とか金儲けとか人品卑しいカテゴリの価値観であってはならぬ。我が国においては人口減少が加速している。教育を受ける側を教育の消費者とするならば、教育を提供する側は何を売り物にするのか。消費行動が劇的に変わった今、生産者・企業側の思考も劇的に変わらねばならぬ。社員は過去の積み重ねという事業所内だけの学びで良い筈はない。大学は知恵を出さねばならぬ。それが価値となる。