どこにでも天災

高知の偉人と言えば、牧野富太郎先生、寺田寅彦先生。もっといらっしゃるのは存じ上げているわけですが、小生が、ことあるごとに思い出すのがこのお二人。ここでは寺田先生の「天災は忘れた頃にやってくる」という名言について。ついてと言ってもそれを掘り下げるわけではない。生家をお尋ねすれば、入口にいきなり「天災は忘れたる頃来る」と掘られたプレートが貴殿をお迎えすることであろう。近年の荒っぽい気象に「忘れない内に来るようになりましたよ」と独り言を言う自分に気が付いたまで。

それこそ、自分史的に最初に遭遇した「雹」は直径1cmを超えるもので、突然とガラガラ、バチバチと音を立てて降ってきた。辺り一面が真っ白になり、真夏の災害として覚えている。収穫前の果実が悲惨なことになったので、親戚の落胆ぶりで覚えている。世界各地の情報がSNSのおかげで得られるようになり、その凄まじさを動画で拝見するにつれて、あの時の天災を思い出すのだ。忘れない内に立て続けにやってくる。それが近年の空模様というところか。人災の戦争で食糧難であるが、それに天災が加わるのだから人類などひとたまりもない。

食糧に限ったことでは無い。何しろ天から猛烈なスピードで氷の塊が落ちてくるのだ。屋根の上の太陽電池などひとたまりもない。メガソーラーにおける雹被害ということを聞いたことが無いのだが、ごく薄い防護板の真下に、衝撃に極めて弱い結晶質のシリコン半導体が並んでいるのだ。地球温暖化ガス派出抑制の救世主みたいに言われているが、所詮、人が作ったものだ。天の鉄槌にかなうものでは無い。一撃のもとに破壊され、単なる飾りになってしまう。高価な置物の代表選手に早変わりだ。

子供の頃のあの景色を思い出すと、屋根の上に太陽電池を乗せる気にはなれないのだ。防御用の透明板を厚くすれば、それは太陽エネルギーの透過率を下げることに直結する。結局は人間の浅知恵で、電気を使う事を覚えた生命体の顛末を感じるのだ。日本は平和である。雹は降っても爆弾は降ってこない。それがいつまで続くのか。ずっと続いて欲しいが、この星の上のことだ。何処にも逃げるところはあるまい。歴史的には直径30cmの雹が降ったこともあるのだ。そんな気象を人類の活動が起こしているとするならば、もうどうしようもあるまい。そう思っている。