脱私物化。これは一つのキーワードなんだけど、私物化を目指すと平気で人は人殺しまでするんだなというは、大国が証明して見せた。そして、他国は手出しできないという事も分かった。そんな世界情勢であるからこそ、しっかりと地に足付けて成すべき事を成すということが必要だ。何のために成すのか。それはビジョンの達成の為に他ならないのだが、多く、目の前に与えられた作業をこなすというところで停まってしまっている。
コストが掛かるからと言って、多く、やっておけばよかったお仕事が海外に逃げて行った。身の回りにある基礎研究で「これは実って必要不可欠だ」と思ったものでも、ドラスティックにゲームチェンジが起って「もう要らないよ」となっていく。その勢いが極めて速い。研究テーマの私物化も滅びの姿だ。源実朝では無いが「明るさは滅びの姿」ということで、見えてしまったら、もう手放さないといけない。研究テーマなどそんなものだと思っている。企業がお金に換え出したら、もうそれは学者が追いかけるものではなかろう。
究極の私物化は命ということになるとは思うのだが、それとて、他者が勝手に奪っていくご時世である。生きている内が華とは良く言ったものだ。今を全力で生き抜かないと、何のために命を預かったのか分かったものでは無い。私物化しているという意識は無いので、もうそろそろ良いかなとは思ってはいるが、まぁ、風の如くに生きているのがお気楽で宜しい。お仕事も私物化している意識は無いので、やりたい人がやればよろしかろうくらいが丁度良い。
巧言令色鮮し仁とは良く言ったもので、たぶらかされてはいけない。その真反対が三方良しということなのだが、それが一番宜しい。自らが最も良いと、相手も良いよと言うのが中核の思想であるから、自らを鍛え上げることを一番にしないといけない。何も、他者に忖度しまくることが三方良しでは無い。三方良しと言える程に、自らを鍛え、脱私物化していく。遠いなと思う。