大切なのはクモの糸

人と人が化学反応を起こすきっかけって何かと。猛烈に強烈な化学反応というのは、裏切りだったり破滅だったり。そんな時に残った何かがそれを起こすのだろう。大事なものはすべて消えてなくなる。それが生きているということなのだと感じる。それでも絶望から立ち上がれるのは、何故かその時、細いけれども決して切れない糸で繋がった人が、何故かそこに現れるからだ。想像でしかないが、がむしゃらに走っているからだろう。止まればそれでお終いだ。

某大学の理事殿のお話を頂戴しにちょこっと移動をしていたわけだが、そのお話の真っ直ぐさにに感動した。組織の一体感というか、真っ直ぐさと言うか。振り返ることが最小限で、前を見て未来の話をされる。その根本にリーダー殿の決断がある。拠って立つものが頑丈だと、それを信じて突き進めるのだなと。こんなお話を伺えるのは、走り回っているからに他ならない。大失敗とか後悔とか、それを引きずらせようと心をかき乱す輩は多い。それは反省という時間で断ち切って、前に行くのが良い。

我が国において、産業と大学の関係性が、今ほど語られていることは無かろう。その意味は、産業が大学に口出しをするなと言った1990年以前よりも、今の、細い糸でも切れないでくれという希望として強く語られているとは感じる。微妙な言い回しだが、その中には、企業から生まれ出る価値を現金に換えて、それを幸と感じる輩がやたらと多いのも事実だ。どうも政府の考える「ベンチャーで国に新しい産業を」という掛け声で、VCの皆さんが強欲になりすぎて、技術の正常発展に目を開けようとしていない。

ただ、今、世界中で世に出ていない基礎研究や応用技術と呼べるものを、社会の幸に換えていかないと、それこそ沈没したまんま、この国の経済状況は上に向かないでしょうね。国民を裏切らない政治家が居るのなら、学問の深化とそれを技術に換えていくことに少しでもお金を投じては如何か。機械を停めている企業に支援金をばらまいて、価値を失った旧態依然を税金で延命して一票に換えていく、そんな社会はもう沢山だ。裏切りと破滅をバネに飛び上がる。その連続だ。そんな感じだ。