3Dプリンタ考

3Dプリンタって何処まで進化するのか分からないですが、家まで作ってくれる時代になっていることを考えると、その素材的なものまで「出来ないものって無いんじゃないのか?」なんて思ったりする。大きさ的とか、時間的とか、コストの問題で使わなくても良いというレベル感であって、まぁ、凄まじい勢いで進化し続けている。ゴキブリ型というとやや好ましくないイメージを持たれてしまうが、自走しながら形を作り込むなんてことになっていくのだろうな。映画だとマイクロロボットが合体していって、一つのものを作ったりする。今のところSFだけど、まぁ、いずれはということか。

レーザーという便利なエネルギー発生が1961年に人類が獲得して以来、いろんなモノに照射されて、溶かしたり切ったり、そしてくっつけたりと、様々な用途で活躍している。当然の事ながら3Dプリンタにも応用されて、鏡の反射で光を任意の場所に飛ばせるという原理原則を活かしたモノづくりが成されている。セラミクスの焼結をレーザーを使って促進させていくという、極めて時間の掛ることなのだが、組み立てでは無く、一体成型となっていくので、入れ子になっているような、複雑な代物も作り上げることができる。その代表が航空機の燃料噴射ノズルであろう。流体計算通りの理想形を作り込み、30%近くの省エネを獲得している。

我が国だと、ご多分に漏れず、規制によって使えないものも沢山あるんだけど、海外では当たり前のように使っている、普通の道具である。JISがぁなんて言っている内に、既に我が国はものが作れない国になっていることに気が付かねばならぬ。要素技術開発時に、社会が求めていないというようなというか、規制で使い物に成らないというか、そんな業界の圧力で、貴重な産業応用に繋がる芽を摘み取ってしまったのは、この国の産業界の悪癖である。そんな事例が多過ぎる。

道具としての発展は、地味に進んでいくのでしょうから、それでしか出来ないもの、考え方は、まだ知財獲得も含めて可能性はある。人工臓器という凄まじい提案も成されているようだし、なんらか、若い知恵を注ぎ込んでも良かろう。Si半導体だって未だに基礎研究が続いている。だから更なる高密度実装等が実現していくわけだ。基礎技術は生まれてくる。応用であってもそうだ。それでなければできないもの。その視点で頑張ること。工学とはそういうものだ。脅かされる連中の規制強化はまっぴらだ。厭らしい世の中である。