時の断捨離

昨年来、ずっと断捨離を続けている。職場の紙が減らないのには辟易するが、それでもかなり減ってきてはいるので良しとする。巨大なディスプレーをでんとおいてということを某職場ではやっているのだが、オフィスが分散され、そうもやっていられなくなっている。紙の資料を無くすことが、情報の精査の確度を下げることに繋がってはいけない。紙から離れない方のお仕事を拝見していると、慎重に見返して事を成していらっしゃるなと感銘を受けることもある。その逆もある。

紙を手に、簡明に趣旨を説明され、意識統一を図れる姿は美しい。それを目指したいのであるが、紙が出てきてしまうと、オリジナルのデータをくれないかしら、検索できるものが欲しいと我儘を言いたくなる。欲しいのはキーワードであり、キーワードによる一覧性である。エキスパンドブックが出てきた時、お仕事の資料が全てこの形式になれば良いのにと思った。勿論、今では検索可能なPDFで全て事足りるわけだが、中にはご丁寧に、紙に印刷してPDF化して頂くこともあり、遥かなるDXだなと思うわけだ。

紙の資料の断捨離は、勇気と決断によって成し遂げられるのだが、時間の断捨離はなかなかにして難しい。興味が湧くと没頭してしまったり、いくつものToDo(パソコン通信時代には何頭ものトドとか言ってたな)を眺めて、ちらほらと考えながら無駄に時間を過ごしてみたり。これらを防ぐために、やっぱりシングルタスクだなと、これまた覚悟を決めて最大に困難と思われるものからちょっかいをだす。進めるに足るエビデンスデータが足りなくなったらスパッとやめて、どんなデータが必要かを5分以内で纏めて、先送りする。

ちょっとした空き時間にそれを見返して、何処に探しに行こうかを考えてメモをしておく。そのメモを元に終業間際にその「何処」を探し当て、翌日に送る。するとそこからお仕事をスタートできる。そんなものの繰り返しで、毎日が過ぎ去っていく。作業は無いから、新規に思考して組み立てていくしかないのだけれど、それはそれで未踏の領域で愉快でもあり苦しくもある。絶望はしない、何故なら、人が思いついたゴールだから、何処かに必ず存在するから。そうやって四苦八苦して5日間、過労困憊になり、職場に出なくても良い日が来る。一週間とは良くしたものだ。そう思う。