荒れた山を見て

ちょこっと山間部を車で走ってみると、目に付くのが放置された間伐材。山から降ろすのには大変な労力とお金が必要になる。トラック輸送となると、燃料コストも安全面でも、とっても面倒なことがあるなと、容易に想像つく。間伐された丸太がごろごろころがり、苔むして、汚らしい山肌を晒す。大雨になって、これらが流れ出したらとんでもないことになるなとは思うのだけれど、経済的に不採算であれるから放置されるのであろう。

先日、ちょこっと拝見したところは、もうそれはそれは悲惨な状況であった。立っている木がかわいそうなくらいである。というか、その山の下の農地を活用していらっしゃる皆様にとって、恐怖でしかなかろうと思う状況である。山からイノシシすら降りてこられないのでは無いか?間伐材は勝手に持ち出しても良いぞとかね、地域の里山においては、それくらい規制を緩和しないと、山そのものが駄目になろう。山が駄目になれば川も海も駄目になる。小学校で習うあれだ。

宿舎に立ち戻ってぐるりと見渡すと、間伐材の直径で間に合いそうな杉の建具とか、多数あるわけだが、これらは太い素材から切り分けられているのかなと、加工のしやすさ、均一性という観点からはそうなってしまうのだろう。地域のなんらかに使えないかなとは思うが、雨ざらしのところでは、腐食が進む木材の辛さ。火災にも弱いしね。しかし、そんなことを言っていたら、結局、醜い山が増えるだけだ。

行政が入って大規模に活用するという事例は見たことがあるが、それは税金を大量に消費するということに繋がる。DIYの番組などで、手作業でのものづくりに取り組む人もいるのだろうが、それは極めて稀であろう。そうであれば、公共の税金を使うとしても、素材として板化したものとか、地域小学校や中学校に配布して、自由に工作に使って頂き、手作業の素晴らしさを身に着けて頂いてはどうだろう。ものづくりは楽しく素晴らしいのだ。子供の頃の感激が日本を救う。それくらいのことを思ったら、税金を使っても良かろう。そう思った。