価値の技術化

技術の価値化というキーワードは、この20年くらい、言い続けてきたことだが、先日、「我々は使わない用語だ」と言われ、社会ではそうなのかなと思った次第。価値があることが前提になっているのか、それとも価値そのものに囚われていないのか。ビジョン無き社長様とか、そんな方には価値という単語は死語なのでしょう。当該地域で語られるビジョンは「委託を良品廉価で即納致します!」ということだからね。

それはビジョンとは言わない、いや、ビジョンなのかもしれない。自己満足できる最良の状態と言うことなのだろう。良品は高価で当然なんだけどと思っていたら、市長某殿が「当該地域は良いものを安く売るから偉いんだ」と声高らかに語られて、唖然となってしまった。こりゃぁ、給料が上がるなど、永遠に来ないなと。最低賃金設定とか、それを上げるなんてことをすれば、当該地域は雇用が無くなるんでしょうね。

世界の人口増加にブレーキが掛かり始めたわけで、技術の価値はどうあるべきか、何が届けられるべきかということを真面目に考えている人が居るのだろうか。今の社会における技術の価値である。バーチャルではなくリアルな幸福感と言うか、笑顔と言うか、そんな心の有り様を獲得できるような、そんな技術の価値を求めたい。どんな技術が価値化されるべきか。良質で、ずっと手元に置いておきたい。そんな技術はなんなのか。

人の心の有り様であるから、どこの会社が儲かるとか、潰れるとか、そんなお話では無いのだ。サービスを売るということが一時流行ったが、「おもてなし」ということで、公金がわいろに使われるような日本である。価値という言葉を社会の方々が使わなくなっても当然なのかもしれない。逆に、価値の技術化こそ、今求められているのだろう。分かり易い価値を技術にしていく。ベンチャーのやり方だが、ペインでは無く幸福から。それを間違ってはいけない。