挑戦、最後のチャンスでは?

「大学の技術なんて、所詮は企業では使えないんですよね」と冷めた若者が声を上げる。2つの思いがあって、一つは、量産を考えず、世界のトップを目指す研究の成果なのだから、月間1000万個の同じものを作らないといけないとなると、直ぐにそれを使う事は出来ないよねということになる。それに対する言い訳は、決まった請負のものは出来るけど、経験の無いものは作れないという、技術の無さを直視しない、低次元な発言ですねということ。言わないけどね。量産プロセスに乗せるまでの大変さは、ライン立ち上げもさせて頂いてきているので、存じ上げている。

もう一点は、大学の研究者がビジネスモデルを考えて、基礎研究をすることがあったとすると、思考の範囲が極めて広くなり過ぎるだろう。3年後の消耗材がきちんと入手できるかとかね。そんなことは担当の専門家がいらっしゃれば良いわけで、そんな方が伴走すれば良いだけだ。それが産学連携担当部門のお仕事でしょうし、それが出来る者が組織に居れば良いだけだ。というか、世界トップの研究成果を、企業さんが使える化出来ない!と大学を見下してくる様は、日本の暗黒な経済を見るようで悲しい。

種々の家電産業が統廃合され、今や、日本製品は見る影無い。しかし、しょっちゅう話題に出ることだが、パーツは日本製だという言い訳。今のところ、多くの量産機械が日本製であることは、一つの安心項目なのだ。それが無くなってしまうと、ものづくりの世界において、日本の出る幕は無くなり、観光のみの国になるのであろう。そうならない為には、企業様のトップの決断しかないのだ。オープンイノベーションは、本当にオープンな状態にあるのだ。

別の観点なのだが、大学に企業がお金を払うべきだという政府の意見があるが、それは有難い事なのだが、例えば自動車の一つの部品の改善に繋がりましたという時に、もしもそれが限られた車種で、月産1000個の改善にしかならないということであれば、それは採用されないし、したとしても、開発費用としての大学への期待は極めて少なかろう。それが月産1000万個ということであれば、例え、1個1円のコスト減に繋がるのであれば、それなりに大学へ入れて頂かないといけない。こんな話が通じる人が、経済界にいらっしゃいますか?ということだ。ビジネスモデルにおける研究成果の取り込みという事に関して、容易では無いが、挑戦しない何も変わらないどころかじり貧だ。間違いない。