工の文字

工業の工の文字は、天と地を繋ぐ文字だと時々聞く。恐らく、どこぞの秀才が神様の知恵を地上の人が使えるようにするのが工学だなどと仰ったのを、いろんな方が自らの言葉に変換されて、それを伝え聞いているだけなのだろうと思っている。今の道具をより便利にするというところで、通信速度が速くなったり、自動車が自動運転になったりと新しいよう見えるのだが、その実、正常進化に外ならず、全く新しいものになっているわけではない。新しい知恵は必要なのだが、ツールの重ね合わせ、組み合わせ、ブラッシュアップに他ならない。

Web診療とかね、今まで無かった理由が、診療報酬の問題だとか規制の問題だとかね、そんなことが極めて多いわけだ。それとても問診が遠隔で出来るようになったというだけで、新しい事が発生しているわけではない。一体、どこに圧倒的に新しいものが生まれてきているのかと考えてみると、それは殆ど無いことに気が付く。気が付くというか、必死に断捨離をして、過去に入手した物品を捨てまくっている状況を考えてみれば解る。残っているのは梅干しを干す巨大なざるとかね、年に数回は必ず使うという代物だ。

本当に良いものを選んで購入していく。そんな意識になったのはそれ程古い事では無い。それでも、学生時代に数万円のビタクラフトの鍋を購入して、40年も使っている。そんな買い物だけをしていたら、身の回りってこんなにごちゃごちゃしていなかったはずなのになと思うのだ。最近は書籍やお酒、つまみ以外に何かを買ったかと言われると、殆ど何も無いのだ。電子機器が故障して、修理に出すより買った方が安かったり高機能になっていたりで買い替えることはあるが、それも年に1度、あるか無いかのレベルである。

脱炭素とか言っているわけだが、千人規模お会社で、雇用を守ろうと思ったら、何かを作り続けるしか無いのだ。年商数百億円を維持しようと思うと、市場に送り出している部品が生み出す人の笑顔などを思い浮かべている暇はない。とすると、工の字の意味が、親企業から降ってくるお金に飛びつく経営者の意味に見えてくる。何を創るのだろう。本当に新しいモノとは何か?皆さんが健康で平和な暮らしが出来ているとすると、工学は何を作り社会に驚きと感動をお届けすれば良いのか。全く新しいカテゴリ。見出してみたい。そう思う。