代行業

不便がかっこいいとか、我慢を強いられる毎日に耐えようとか、そんなことは全く思わない。思う必要も無いのであろう。頭上からミサイルが降ってくるような状況にならなければ、そういうことなのだと思う。それを悪逆非道に実行した為政者を、世界は何にも出来ないのだなと言う、まぁ、情報操作によって創り出される世界と言うのは、そんな一面もあるのだろうと、仮想空間世界を楽しめる世代の皆様は考えて頂きたい。と、そんな大仰なことは戯言には似合わない。

地方の限界集落に移り住んで共同生活を営みながら、地域コミュニティと一体となって、ビジネスを興し、税金を生み出す若者のニュースを拝見するに、なんと素晴らしい事かと思ったりする。マスプロダクションの中に取り込まれず、最大限の個の希望を満たしながら、最小限のモノで生きていく様こそ、地球と共存する一歩なのかもしれないと思う。しかし、ネットワークが必要だ、パソコンが必要だと言われてしまうと、それを開発・製造するまでにどれだけのエネルギーが必要なのだろうと、地球資源消耗型生活なのだなと、改めて考えてしまう。

なんか、最近、毎週、断捨離と言う単語を吐いている気がするのだが、ゴミ袋を前に断捨離を続ける日々だからしょうがないのだが、ふと、「これを小生のライフスタイル、価値観を知らない人に代行して頂けたら、全てが無くなって気持ちが良さそうだ」などと、後で後悔すること間違いなしの方法を思いついたりして。流石にそこまではしないのだけれど、例えばAI掃除機の導入って「お掃除代行業者の導入」だなと思った次第。床に置くものが無くなると、いの一番に導入したくなるのがAI掃除機というのは解る気がする。個の時間獲得という点における一つの解だ。

と思って、ライフスタイルの中に「代行」ってどれだけあるのかなと思うと、自分のロードの代行がビジネスになっていることに気が付く。「お惣菜コーナー」などは調理代行業だし、自分では出来ないものづくり、ことづくりをやって頂いているものって、そのサービスにお金を支払うという点において、全て代行業である。時間の獲得だけでは無く、自分のことづくりにおいても、例えば山道具などにおいては、必死になって山に登ってそれを使わせるという苦行の代行サービスだ。そんなものを人間は欲するのだから愉快である。まだまだビジネスの種は創造出来るなと、妙に納得した私であります。