有機物と無機物の違いは、自らとはことなる状態から栄養を得て、自らを増殖させることが出来るか出来ないかだと、小生の師匠からお聞きしたのは、もう35年以上も前のことだ。人間機械論の哲学とか学んだ後でお聞きしたので、有機的という単語は極めて難しいものだなと思ったことを、今も鮮明に覚えている。一生、使えないなとも思った。ネットなどで情報を検索させて頂くと、さも、簡単なように語って頂けるわけだが、それぞれが密接にかかわっているとかね。
そもそも論、哲学的な単語であって、神が与えた生命を形作るそれぞれの部位は、人間という一つの形を構成する一つの要素なのだが、それぞれが相補的にありながら、ここには主体的に動いているように見える。しかし、その活動は、全ての部位が連携しあって、複雑に関係しあっているのだということなんだけどね、小生は、実はその解釈において気に入らないことがあるから、有機的という単語は使うものではないなと思っている。師匠もそうお考えだったのではと思っている。
組織とか約束事とかが有機的に関わりあってとか、有機的に事業を展開しとか言われてしまうと、何か決まった形を達成することがゴールか?とか思ってしまうのだ。複雑に関係しあってということを言いたいのかもしれないが、どのように影響を及ぼしあっているのかを関数的に示すことが出来ない己の無能さを、哲学者を気取って有機的という単語に逃げ込む姑息さに吐き気がする。無意識に使ってしまったのなら仕方がないが、凡人が使ってよい単語ではない。
戯言の癖に単語の意味云々を語るなかれとおっしゃるかもしれないが、その辺りはかなりこだわっている部分でもある。「何が問題か分からない」などと軽く逃げる国民の代表殿とはちょっと異なる。もしも師匠から有機と無機のお話を頂戴していなければ、ここまで「有機的」になんとかというフレーズにかみつきはしなかったとは思うのだが、今までに無い価値を社会に届けさせて頂きたいと思っているということなのだけれどね。類推される有機ではなく、あっと驚く無機。そんなところかな。