滅国の一里塚

いよいよ感染爆発の状況を把握するのを止めると言い出した。経路の追跡などの情報の獲得だけで10時間以上を毎日費やすからだと。税金でコロナ富豪医局を産みだしておきながら、デジタル化で情報収集の効率化を目指そうなどの方向にはいかなかったツケが国民に回ってくる。いや、デジタル化は個人情報の簒奪だとあおったマスコミのせいでもあり、それを安易に納得する国民のせいでもある。地域の感染状況が解らなくなるというか目をつぶるということは、もう表を出歩くなと言うようなものだ。

と書くと、直ぐに、いやいやそれだけ安全な感染症(意味不明な表現だが)ということなのだと、暢気で平穏な意見もあろう。それでも毎日、数十名の死者を生み出すのだ。政府統計によれば、今年7月中の交通事故件数が24870件で死者数が207人だから、罹患者と死者数の割合からすれば交通事故死の方が圧倒的で、それは大したことが無いと言いたいのかもしれないが、同様に報告されている同月中の死者数は1333人で、交通事故死者よりも多いのだ。何と比較するかだけのお話なので比較は意味が無いからこれ以上突っ込まないが、千人単位で亡くなっているのだ。それなのにもう追跡はしませんとは何事だ。

それを罹患者の国のリーダーがカメラ越しで言うのだ。何の説得力があるのだ。今、大学は夏休み期間中で、飲食店でアルバイトをしている学生諸君で、大学に出てきている数は少なくなっている。その状況下においてもそうなのだ。そして国は若者はカウントしないという。賞状が大したことが無いからということなのだが、家族を含めた他者への伝染という点において、カウントを無視して良いものでは無い。他国が正直に報道していないから、このままでは日本に渡航する者が減るということなのだが、海外から帰って来た者の罹患状況を見ると、きちんとカウントすることの重要性が解るはずだ。

獲得するべきデータは、基準を変えた時点で価値はゼロになる。カウントすることに価値があるのではない。国民の危機意識、保健衛生に対する考え方、そして、DXとう状態を求めない世界で唯一の民であることを恥じる為にも、データを自治体任せにするという愚かな判断は撤回するべきだ。