国葬

カーボンニュートラルに極めて近い環境だったのだろうなと思うのは江戸時代の「お江戸」の在り方であろう。現代人がそこに飛び込めば不便な事は当然で、そもそも電線が無いのだから。情報共有をしようと思えば回覧板だの手紙だの。手紙とというものがかなりの確度で届いたということも驚きなのだが、紙が貴重で、文字を読み書きする階層はそれなりのものだったのだろうからということなのだろう。それなりの階層がそれなりの役割を果たすというのも大切なことだ。女王陛下の国葬をTVで拝見し、まさにそう思ったところだ。

世界で最も有名な王様の崩御であり、英国のみならず、世界の歴史に足跡を残された方の影響力の大きさを感じたわけだ。とてつもない方の国葬の後に、どっかの国では、反対が強い中で強行される国葬もある。公式には30億円を越える税金が投入されるとのことで、そんなことが一部の人間の我儘で行われるという、不思議極まりない国家であるということを、世界に知らしめてしまう。弔問外交で何が語られるのか?世界に対する国家のプレゼンスを上げることに繋がるのか?

未だに「モリカケ」問題が綺麗になったということは聞いていない。宗教団体と政治との関係性は、マスコミはちっとも突かないが、これの筆頭格として問題視されているご当人である。亡くなったら「ちゃら」ということではないのだ。独立機関である日本銀行を政府の出先機関の如くに見下した発言は、多くの人の脳裏に焼き付いていることだ。国家を安売りし、予見された円安による物価上昇への無策甚だしく、それを先導したことも全て後に残している。

野党の方々も、結局は追従で、与党も野党も無い日本らしさを露呈している。国民の6割が選挙に行かない国だから、まぁ、これは必然なのかもしれない。多くの方々の頑張りによって獲得してきた投票による参政権を放棄するのだから、一部の集団が勝手気ままになんでもやって良いという国なのかもしれない。台風が来れば国土は荒れ放題だ。国土強靭化計画とか建築・土木技術は優れているのだなどと話は聞くが、それは本当の事か?と疑いたくなる。英国の強さをまじまじと見せつけられたなぁと実感した国葬のあるべき姿でありました。