創造と破壊。この両方が成長には必要なのだが、この国は破壊が苦手である。研究領域もそうかもしれなくて、所属学会に縛られて、それを頑なに守ろうとする。研究者には専門領域なる看板を付けられて、その領域であれば博士号を出して良いよというライセンスが与えられているから、それが自分達を縛っていることになってしまうのかもしれない。しかし、破壊を伴わない創造だと、いずれキャパオーバーになって組織は崩壊していく。良質な破壊を続けないといけないわけだ。
追従型思考の日本であるから、新しい事を言うと受け入れられず、ロジハラに叩き潰されそうになる。新しいことに過去のロジックは当てはまらないから、異なるゲージを当ててきて「合わない」と排除されていく。破壊する部分に当たってしまったら悲劇と思うか、それが時代と思うか。破壊を否定と捉えずに、新陳代謝出来ると前向きにならないと、猛烈な勢いで変わっていく世界に押しつぶされていくわけだ。DXをものづくりの現場に導入しようとすると反発があって出来ないなどと、そんな企業は既にゾンビだ。
経済の停滞が何処から来たかと言えば、それはもう簡単なことで、世界から見て圧倒的に遅れたものを遅れた方式で作っている企業をゾンビにして生かし続け、破壊してこなかったからだ。昨日よりも新しい事に挑戦していない企業に未来などある筈は無いのに、助成金などというもので、政治家が票を買い続けた結果だ。街角の駄菓子屋など遠い昔に無くなった。しかし、巨大なモールに昭和の駄菓子屋は繁盛している。そんなもんだ。生き方を変えることが出来たら、それはイノベーションである。
理工系と文系という不思議な分け方が中学校において行われて、工場で菜っ葉服を着て油まみれになるイメージの工学部が嫌とか、算数が苦手だから嫌とか、金融機関に就職できないからとか、謎の理由で文系に行っちゃう時代なのだそうだけど、その辺りの都市伝説を破壊しないと、結局、理工系人材増大なんて夢のまた夢である。大学は研究を基軸に新しい教育を模索し実践していかなければ破壊の対象である。自らの破壊も意識して進まねばならない時代である。