世界を見渡すと新しいコロナ株がどんどこ見つかっている。鎖国が解かれたわけだから、それらが蔓延するのに時間は掛からなかろう。世界中でマスクを外し、感染は自己責任常態であるから、我が国もいずれそうなっていくのだろう。国内におけるワクチン開発が活発になったとか、細菌センサが出来たとか、そんな都合の良いお話はとんと聞かれない。出来るものなら研究をしてみたいものだが、国内の最先端の皆様に期待するしかない。何か関われないかと、研究者諸氏は考えていらっしゃることだろう。その気持ちを失ったら、もう要らない人ということになる。
産業構造の転換と共に、不要となる部署が職場にある。これは何も人が要らなくなったわけでは無くて、AIやロボットによって、人間がやらなくて良い作業になったという事だ。そんな作業にしがみついていても仕方がないので、リカレントで自らに新たなスキルを身に着け、次の職を作るのが宜しい。その認定制度が日本にも細々とあるのだが、それを提供する学びの場を作り出したいなと言う色気はある。実際のところ動き出してはいるのだが、まだまだよちよち歩きだ。
全部、自前でという時代では無い。本屋に行って自学自習というのもありなのだが、リカレントやリスキリングの場を活用する事、それでもだめなら、アウトソーシングということになる。無理して所員を鬱にさせて、折角の能力をつぶしてしまっては元も子もない。とんでもない損失である。国の規制によって「駄目」ということも多いのだが、政治家の暢気さに国が鬱状態になってしまっている状況はいかんともしがたい。これなどは政治無関心の結果だったり、世界の帝王達が我儘勝手し放題という状況を見本にし出す若者の出現を生んだり。
新しい事を始めたら、2つの古い事を捨てなければならない。捨てるから新しくなれるのだ。新しくなる必要が無ければ、それはしなければ宜しい。伝統工芸に属する文化はそれで良い。もしも経済活動で、国の経済成長に寄与しようとするならば、新しく成りつづけなければならない。資源を見出し、それを活用する手法の開発でも良い。要は情熱であって、それは年齢には関係ない。それが無くなったら終わりということだろう。ゼロから数字を生み出し続けたい。それはそう思っているし、そんな人を応援したい。