医科歯科大と東工大とか、大学内で医工学学科とか、いろんなところで「医」と「工」が表立ってくっついて来ましたな。世界では当たり前、日本では特別な事象という、まぁ、いつもながらの事なんだけどね。未だにオリンピックの賄賂事件や政治と宗教団体の連携の事柄で、国会が本来しなくても良い内容で時間を浪費しているのを見るにつけ、この国はある意味平和なのだなと実感する。いきなりミサイルが撃ち込まれて上陸されて、住民投票やられて「はい、今日からここは私のモノね」とやられるかもしれない時代にだ。
全く見方は変わるのだけど、東南海大地震がくるぞくるぞと延々と言われ続け、その間に神戸震災や東日本震災が発生したものだから、次こそはいよいよかなと思ったりもするのだが、自然が相手の物は誰のせいでも無く、諦めるしか無いものだから、ついつい忘れがちで、非常食糧の缶詰の賞味期限が圧倒的に過去になっていたりしても苦笑いで済むのだが、世界情勢を入手し得る情報から考えると、安穏と国会の審議時間を浪費するべきでは無かろうと思う。首相の見事な風見鶏ぶりを見ていても、バックの官僚殿の質もどうなのだろうと情けなくなる。
最初の医と工の連携に戻すけど、医療系機器はご存知の通り許認可制度にがんじがらめに縛られていて、それをクリアするだけでも気が遠くなる。各地の商工会議所には、関係企業からの天下りのコーディネータ氏がいらっしゃって、その方々のご機嫌を伺わないと話も聞いてくれない。動き出して市場に出せるまで最低でも5年は掛かるから、スタートアップで勝負しようなんて資金が続かないことが見えているから、余程の資金を集められる内容と認められないと、挑戦は困難である。既に海外で多くの知的財産を獲得されてしまっているということも挑戦の意欲を削ぐだろう。
この辺りのところこそ公的支援が必要なのだと考える。知財と言うことは「それが出来ることは既に証明されている」ということなのだから、それはパーツの如くに活用させて頂いて、避けるのではなく積極的に取り込んで、高速に事業として進めていくべきなのだ。知的財産に関する国の委員会などでは「中国が真似をする、防御出来ない」とかのお話が出てくるのだけれど、侵略者認定は良いが、市場はあちらが明らかに大きいのだ。対話による若者保護と鼓舞こそ国にしか出来ないことだ。挑戦こそ人生の価値である。そう思う。