GIGAスクール構想のお陰で、全国の小中学校に電子端末が生き渡ったのはついこの間で、今も、端末の不具合が凄まじいらしく、教育DXの地域格差は凄まじいらしい。それを言いたいわけでは無く、ロイロノート・スクールのお話。関係者のお話によると、これを上手に活用すると、授業のPDCAが劇的に進化し、児童自らの積極的な取り組みが発生している事例が多くみられるようになってきたとのこと。これこそがゆとり教育の意味では無かったのかと。改めて日本の電子化の全ての領域における遅れを残念に思う。
生まれた時から親がiPnoneなどを使っているのを見ていて、物心ついたらそれを当たり前のように活用し、小学校に上がった途端に自分達よりデジタル端末スキルが圧倒的に低い先生方に失望してしまう。このロイロノート・スクールが世界の電子教育ツールから見て、どれだけのポジションにあるのか分からないが、少なくとも自己流で黒板を端末化しただけの授業よりは良好な学習のアウトカムズを獲得できているとのこと。漸く、児童書君と同レベルのデジタル端末所持者が先生として出現したのだなと嬉しく思う。
今、小学校1,2年生でそれらが進みつつある現状を考えると、その諸君が大学に入学してくる迄に約12年を要するわけだ。その時までには大学も圧倒的なDXを実現していなければならない。窓口に行って担当者と1時間以上もやり取りしてなどのことは速やかに解消されなければならない。対面で無ければ何も出来ない、サービスとならないという化石的思考は捨て去らねばならないのだ。時代の進化は小学校1年生位の親御さんだとするならば、35歳位までの職員殿のアイデアをどんどんと採用し、実行していかねばならない。
新聞紙に習字の手習いをした小生の時代。タッチペンで筆表現が出来る現代。黒電話からスマホへの変化。そしてそれは更に劇的に開いていく。小生のような化石人はジャッジに留まり、新規事象の発案に口出しをしてはいけないとは思う。老婆心は公害であって、我が国の進化を確実に停めている。ロイロノート・スクールで学んだ子達が高校に進学する頃には、更に異なるツールでの学びの時代になっているだろう。そしてそれは加速していく。戦争なんかしている場合では無い。その筈だ。