ガイドラインの無い道を行くべし

誰にどんな価値を提供する存在でありたいかというパーパスと、価値提供によって実現する具体的イメージであるビジョンと、その両方を常に持って、常在戦場の気持ちであることこそ生きる意味だと思っている。人が群れでなければ生きられない生命体として存在しているのは、パーパスとビジョンの両方を他者に向けて持ち続けること、そしてそれを新しくし続ける事が出来るためだ。新しくし続けられなくなったら存在悪であって、群れから外れるべきだ。保守という考えに陥った者は、社会から退場せねばならぬ。

世界経済の発展が急減速しているが、新たな産業が立ち上がっているだけだ。産業は燦業で栄枯盛衰。自動車産業が永遠だと勘違いしているだけだ。勿論、自動車そのものが無くなるわけではないが、自動車が作り出すサービスそのものは変化していき、プレーヤーは変わっていくのだろう。その変化に付いていかず「保守」を決め込めばそれは退場を選択したことになろう。人が減って働き手が居なくなるという話があるが、一方では無人工場の進化を加速させる。テクノロジーの進化とは、人に安らぎと思考を与えるのだ。高度な思考が高価な対価を得る社会こそ正しい。

ガイドラインが無いと動けないとかね、ガイドラインて、ガイドだから指針にするものではないし、あぁ、こんなことを考えているんだな、古いなくらいに思っているのが宜しい。そもそもガイドラインというものは、誰かが通った道を、無知な者が物まねで歩く時に必要なもので、大航海時代にはそんなものは無かったわけだ。だからガイドラインなんて本当は要らないのだけど、先駆者の真似をして頑張ってという、成功することが解っているところにしか補助金なりを出さなくて、そこにガイドラインまで付けてくる国ってどうなの。

ガイドラインをくれというのもあさましいし、そのガイドラインにケチを付けるなど言語道断。自らが後追いであることを恥じることが先であろう。後追い主義に慣れ過ぎて、研究費用は回収できる見込みが無ければ出して上げないという国や企業。ベンチャー投資しかないだろうと言っているくせに、成功を求めてくる風潮があり過ぎる。挑戦者は馬鹿を見る国だしね、もうそろそろ脱出しようかななんて思っちゃいますよ。若者が脱出しているのは当たり前な気がする。嘆かわしい。