事実考

はっきりと覚えているのは1960年代の後半くらいからである。1970年にあった大阪万博と札幌オリンピックのおかげで、その前の記憶が残っているから60年代後半は覚えていると言えるわけだ。そこそこ長く生きているのだが、その記憶は笠谷さんの金メダルは真実だし、そのテレマークもはっきり覚えている。後に余市の駅で笠谷さんのユニホームに出会ったのはそれから50年近く経ってからだが、あぁ、あれは事実だったのだなと解釈できる。脚色された記憶であろうが、事実は確かに発生していたのだ。

事実に対して真実と言う単語が出てくる。辞書によれば真実は、事実に対するその人の解釈ということで使われるのだそうで、主観的な事柄という事らしい。事実に対する意味付けと言うことにもなるのだろうか。あの時、3人が表彰台に上り、金メダルの素晴らしさと言うか、感動と言うか、金メダル獲得という事実に対して、素晴らしい出来事だったと言ってしまうと、それが小生から発せられた真実と言うことになるのか。釈然としないが、真実は人の数だけあるということなのだろう。

真理となるとこれはもっと重たい。研究をしていると学理の探求などと言って、神様が定めた普遍の、絶対にそうなるべき自然界における基軸を探し出すものとして考えてきた。研究にとっては行きつく先だが、本当はそこが出発点であるというところだ。どれだけの真理が明らかになっているのだろうかと考えてしまうが、真理を求めて事実と真実を重ねて生きているのだなと、人間のなんとも小ささを実感するのだ。この土地は俺のものだとミサイルを罪もない同族に向かってぶっぱなしている事実に対して、これは真理の追及みたいな言い方をしているわけで、何ともおぞましい世の中である。

ふと、思っただけなのだけれど、目に見え聞こえるものだって、波長や周波数が限られているわけで、その人にとっての事実であって、だから真実も主観で良いのかなと開き直ったりする。その時にそれは最良だったと為政者は思わないと行動できない。意見の集約は大切がだ、それに縛られて決断しないのであれば、それは為政者として大いに失格である。五感を研ぎ澄まし智慧を巡らせて決断する。それしか方法は無い。これからもそうするのだが、どれだけ続けられるか。人は必ず死ぬという真理がある以上、今を最大に頑張るしかない。それだけだ。