文化

昨日は文化の日という、もともとは明治大帝の生誕日を祝う日であったのだが、紆余曲折、GHQの介入で文化の日となったわけだ。自由と平和を愛し、文化を進める、再び戦争を起こさない平和な世の中にしようという願いの元、創られた祝日である。文化ってなんだとなると、なんだか難しく考えてしまうが、その時代で人々の創意工夫によって出来上がった、誰も泣くことが無いような仕組みも、立派な文化財だろうし、それを作り出した人の心こそ文化だと思うのだ。

当地に住まわせて頂いて少なからずの日数が経過したが、神社仏閣、城郭だの、街だの拝見してきたわけだが、それはそれで素晴らしい文化財であり、後世にとっても価値のある財産である。負の遺産と呼ばれるものもあるが、それは呼ぶものの価値であって、それがどのような敬意で創造されたのかまでを含めて考えれば智慧となり、それは後世の人類にとって価値であるから、立派な文化財である。イタイイタイ病の発生因である亜鉛鉱山などは立派な文化財だ。

そんなことを思いながら、車窓から眺めたことはあったものの、現場に行ったことのないところに出掛けてみた。戦後の人口増加と食糧増産の為に、自然を破壊して創りこんだ場であるのだが、その場は既にバブル崩壊の後に収益増大化が進み、新田エリアが極めて醜い、そして汚らしい、産業人の心を映す鏡となっていた。これも文化であり、人の有り様である。日本人が過ごしてきた昭和・平成・令和の文化である。

歴史の変遷が垣間見え、じっくりあるくと、教科書はもちろんのこと、観光マップにも掲載されようがない歴史を智慧として獲得できる。その場に行かねばならない。圧倒的なスピードで文化は消え去っていく日本である。過去を否定し、消し去ってきた日本人の歴史観は、文字としての記録も信用ならない。それ故に自らの目で確かめ空気を感じ取り、自らの文化としていかねばならぬ。それは人の数だけある。Web環境では得られないものはこんなものなかと実感した。貴重な文化の日であった。