栄養自給率を上げないと

北関東からやってきた身からすると、愛知県は極めて恵まれた立地と実感している。この季節になっても地場の農産物が途切れることが無い。勿論、ハウス栽培もあるのだが、路地野菜がこの季節でも成長している凄まじさだ、刈り取られた水田には麦が作付けされ、二毛作が当たり前になっている。もっとも、この辺りは、年に4回はお米が収穫できますという赤道直下の国々からすると「だから何?」と言われてしまうだろうが、食糧自給と言う点において、愛知県の恵まれぶりは凄いと思う。

凄いのだが、先日も語ったが、折角開発した新田が朽ち果てた工場によって潰されていたり、明らかに耕作者が居なくなって雑草生産地となっている状況が散見される。散見どころか、農業地域には必ず存在すると言っても良いだろう。考えても見れば、汗水流して農産物を育てても、収穫量が市場ニーズを越えてしまうと価格暴落になっていく。農協の販売所などでは「これがこの価格か・・」と愕然とすることがある。勿論、「うわっ、手が出ない」という商材も存在するのは事実だが、それとて、フェアトレードという観点ではそれで良いと思っている。

半導体産業を再び日本にというお話に反対するわけではないが、活きる為に必要な栄養自給率を100%に近づけていく努力をしない国は国では無いと思っている。防衛に関してもそうで、専守防衛であるならば、本当に守ってくれるために必要な税金を投じなければ意味がない。勿論、そこにはそこで働く人々の「栄養」も必要になってくるわけで、国家を俯瞰した予算配分が絶対に必要なわけだ。どうもそれがこの国ではおざなりになっている様に感じる。

気が付くと畑にショベルカーが入りブルドーザーが整地して、いきなり薬局が立ったり工場が出来上がったり。住宅団地だなと思っていたらど真ん中に物流倉庫が不愛想に立ち上がったり。農業は大変である。自然が相手で近年では災害によって全てを失う状況が報道され続けている。それでも国である以上、それは何とかせねばならぬ。政治に期待と言うことなのだが、どうなることやら。米国の国政選挙の有り様が羨ましい。そう思う。