脱私物化のDX

丁度、2000年の頃、今から22年しか経過していないのかと、ちっとも変わらない筈だと理解した。当時、会社回りをさせて頂いた時に、かなり大きな企業様だったけど社長殿の仰りようが「当社は非正規社員を増やして正社員比率を下げ、人件費を抑えて利益を出す」という、今も日本企業のベースにある考え方だ。新規開発に挑み利益を上げる努力をするのではなく、雇用を切って「出を抑える」生き残り方だ。ここに良品廉価の根源があるのではと感じる。

先日、小生にとっては極めて優良な、そして要素技術をお持ちのお企業様から、業界の浮き沈みに関わりの無い新規事業を創りたいので、何をやったらよいか教えて欲しいと、まぁ、極めて良くあるお話が持ち込まれた。お話を伺うと、リーダーから言われたのが「価格優位性のある商品を作れ」という指示だったそうで、ここにも良品廉価の呪いがある。価格優位性を出すために命令されたのが「リバースエンジニアリング」とのこと。一つの技術に固執して、私物化してきた企業の終焉がそこに見える。

素晴らしくお金が掛かったパンフレットに堂々と書かれる「早く安くお客様にお届けします」という謳い文句。派遣社員殿より安く設定される正規社員の給与。そんなことで作り上げられたリバースエンジニアリングの結果が、購買意欲を喚起する筈が無かろう。御多分に漏れず、無料相談となるわけだ。智慧には銭を出しませんという、良品廉価企業の得意技だ。時間泥棒に遭遇しただけで終了だ。

日本の企業がDXというものを排除するのは、私物化主義で独善的経営を護ろうとするからであろう。デジタルと言う共通言語で他社に自らの無能さを知られるのが嫌なのだろう。二極化した日本企業、いや、企業だけではない、大学も同様だ。勇気を出して共通言語で語り合い、自らの非力を改善し新たな強みを作り出し続ける。共創は新たな場づくりだが、その場で活きる自らでなければならない。それこそがDXであり、意識の変容を受け入れねばならぬ。「出を抑える」だけでは先は見えている。