常にがけっぷち

11月も最後の週に入ってきた。それでもまだ一か月もあるのだ。常に新しいことを生み出し続けねばならない。勿論、今年も反省が多かったわけだが、それもいろんな要因が重なって、自らだけではどうしようもない組織の論理や、社会の加速的流れとか、さまざまであった。天気予報によれば今週からいよいよ寒気が南下してきて、本州でも雪が降るだろうとのこと。コロナにもインフルエンザにも気を付けながら、残りの月を過ごすことにする。

大学の有り様という点において、深く厳しく考えさせられ続けている。人事云々は勿論だが、それは戦略の中の戦術の一つであって、組織の変革と共に最大限に力を発揮できる姿を描いて打つものである。私的な感情論でどうするべきものではない。もう時代が大きくかわり、何年経ったからとか、何歳になったからということは関係ない。組織の変革において共に頑張って頂けるのか、それは何をもってかという絵に乗ってこないならば、それは厳しい時を迎えることになる。日本の国のそのままの縮図だ。

悲しいかな、学会の閉鎖性と言うか、これは凄まじい。それを破壊的イノベーションによって粉砕し、自らの立ち位置を変えていく程の挑戦には、それこそ恐ろしい程の体力を使う。生半可なことでは不可能である。今の姿が最も正しいと思っていらっしゃる方々にとって、世界の社会の有り様などは二の次になってしまう。延々と続く学理の探求に身を置くことだけが進むべき道で、それを次世代の若者に伝えることを使命とする、それは分からなくはないが、それは場に応じてである。鶴舞はその地か?

講義の体系、学生と大学との関係の有り様。多くの方が変革が必要と思っているのだが、それを成す事は組織そのもののガラガラポンに挑むことを意味する。社会も劇的に変化している。未だに、大学は無料相談所と思っている企業の何と多いことか。もうそんな時代ではないのだ。未来を語らないコンサルティングファームにお金を捨てるのなら、若い研究者と共に、10年後の変革を目指してみては如何か。多くの企業にそんな体力は残っていないだろうが、座して死を迎えるよりはましかもしれない。そう思う。