人口許容量は?

日本で言うところの江戸時代までは、地球温暖化の議論なんて無かったわけだ。情報的に観測データが得られなかったというのはほったらかすとして、自然と共生していた状況が人類にはあったわけだ。経済活動と言う、持てる者が富む構図が生まれて、造り続けるために捨て続けるという謎のスパイラルを描き続け、それが無限に続くという幻想で、気が付いたらなんだか地球が温かくなってきたぞと言うことだ。

単純では無くて、太陽活動の周期も考えないといけないし、地軸の揺動で、太陽に対する角度の問題もある。諏訪湖の結氷の情報が六百年近くも蓄積されていて、それを拝見するに、太陽活動の周期と一致するねということが解るわけだけど、そのリズムとはかなり異なってきていることから、まぁ、人間の繁栄が地球の繁栄を凌駕してしまって、地球の破壊が進んだのだなということが解る。

随分前からインドの人口が中国の人口を越えますよということが言われていて、それは凄い事だと感じていた。感じていただけで、それが一体、何をもたらすのかを考えるわけだ。人口減少に向かうと言っても、900万人以上の出生数に驚くし、高齢者が2億人を越えるという事にも驚かされる。新たな消費が減ってくるわけだし、高齢者向けの商材が売れるようになるのかなと思ったり。ただ、人の為に何かを生産するということは、エントロピーの変化をもたらすわけで、当然の事ながら、当面は温暖化が進むのだなと感じるのだ。

食べて動けば放熱が生じるわけで、牛のゲップが悪者扱いされているけれど、人間そのものが地球環境を悪化させる方向にあることを理解しないといけない。農業だって肥料を高効率に植物成長に繋げると言う事も大切だろう。やれることってとても沢山ある。それをやらずにEVシフトとかね。物を創るということはエネルギーを使うわけで、経済活動優先と言っている限りは決して温暖化速度を低減化させないのだ。地球は一体何人の人を乗せることができるのか。まだまだ増えていく人口。その供給源の一つの速度が低下してきたのだなとは思うのだが、地球から見ると大きな変化では無かろう。