イノベーション考

小生が技術の価値化という単語を使い始めたのは2004年頃なのだが、その当時は「大学の研究者は企業と隔絶しているからこそ自由な研究が出来るのだ」と、まぁ、企業も何も関係なく、研究テーマは自由に選定できるんだけどね。勿論、軍事目的とか、出来る大学とそうでないところがあるわけで、それは所属する組織のポリシーに依存する。その技術の価値化というのは、科学が技術になって、その技術が産業界で咀嚼され、更には世界に羽ばたいていった時に得られる人々の笑顔という状態を言っていた。これは今でも正しいと思っている。

巡り巡ってと言うことなんだけどね。カンコツが化けていって量産を支えて粗利を獲得するというのは今でも日本の主流の在り方かもしれない。それは日本企業の大好きな改良・改善でのコストカットから産みだされるもので、総売り上げは変わらずに、粗利だけ増えるということなんだけど、それは粗利は増えるがやりがいはどんどんと落ちていくわけだ。勿論、改良・改善は大切で、ロボットや専用機で出来るものを人力でというのは間違った方向であるのは間違いない。

それで出来上がったビジネスモデルがあったとして、この先どうするのとなると、今、自社が有する工作機械を活かすことが出来るビジネスを教えてくれなんてことになる。酷い話、無料で大学を使えとかね、そんなコンサルもどきが現れて、先輩風を暴風に変えてやってくる。そんな時代では無いし、大いにお断りなのだが、それで飯を食えるのだから恐ろしい世の中だ。そうではなくて、新規のビジネスを思うならば、今をどうのこうのではなく、本気で「こんな素晴らしい場で活躍したい」と思う事。そしてそこで必要なことは何かと考えることだ。

大いなる落とし穴があって、技術が人を喜ばせていると考えてしまう事。違う、それは全く違う。技術は単なるツールであって、幸せは今と意識が変化する時に感じられるものだ。当然のことながら、不幸のベクトルは採用されない。幸せはそれを活用する人に帰属するのであって、技術による革新などと思ってはいけない。その思考がまかり通る限り、モノづくり屋に明日は来ない。世界最高の技術のみがそこに参加できるのであって、工作機械を持っているからではない。笑みを支える技術を産んだ時、それが技術として認定されるのである。イノベーションとは意識の革新である。技術やモノでは無い。理解するべきだ。