教育行政

名古屋市長が小中学校生にキャリア教育をということを打ち上げられた。これはとても称賛されるべき事と思う。勿論、閉鎖の極みの教育行政に市長の想いが届くとは思えないが、将来の夢を持って学びに取り組むのか、受験という競争の勝利者というゴールを目指すのかで、その後の、国の有り様は変わってくる。サラリーマンになって終身雇用なんて概念が無くなり、生きている限り働いて自活することが前提の世の中になって、旧態依然の教育で良いわけがない。リーダーとして英断と讃えたい。

地域と共創でということだが、その中身は全く分からず、恐らく、こうありたいという掛け声だけで、中身は無いのであろう。それはそれで良い。方向性を示すのがリーダーの役目で、それを汲み取り形にするのはサブリーダーの務めだからだ。リーダーが方向性を明確に示さないから、全てが瓦解してくのだ。こんなことを言うと、総スカンだと考えるのだろうが、既に世界から総スカン状態の日本なのだから思い切れば良いのだ。

考えて良いと言う事だ。正解なんというものは概念から外さねばならぬ。ただ、心地良くなっていることを共同体の中で共有できる事が重要だ。キャリア教育をと打ち出したとして、それが実るのは遥か先。それこそ次の市長の代になってから漸く効果が表れるだろう。それで良いのだ。教育の効果など50年以上経過しないと出てこないに決まっているのだ。それを理解せず、次から次へと行政から提案が降ってくる。毒まんじゅうとなって振ってくる。食っても死なない身体を作っておくか、食って即死するか。

エンジニアリングをモノとモノとの組み合わせで利益を上げる仕組みと概念づけてしまう日本だが、場における「こと」の価値を最大化させる智慧を産むことこそエンジニアリングである。体験もエンジニアリングによって産みだされる。その体験がどのような波及効果をもたらすのか。それがビジネスモデルであり、粗利の源泉である。図面を起こせるものづくりは既に過去の異物だ。夢をイメージ化しデザイン出来る思考力。是非、育てて頂きたい。あの世から見守ることとする。