身銭

今の時代、一つの分野の学問だけで解決できることなど何も無い。かなり前から電子デバイスを印刷で作り始めているし、そうなると、印刷機器から電子デバイスとして働く素材を印刷可能にするとか、勿論、使われる場所の想定も必要だ。チャットGPTが全部やってくれるまでは人間が係わらないといけない。ロボットと強力なAIが合体しているのかこれからなのか解らないが、それでもそれらを形作るのは、今のところ人間の仕事になっている。

横断的知識と言っても、南方熊楠先生のような博覧強記の天才を求めるわけでは無く、異分野・異文化の方とも対話が出来るレベルで良いのだ。単なる相槌を打つだけだと、マラソンが札幌に行ってしまったりするから恐ろしいが、しっかりとNoと言えるレベル(かなり高いレベルだが)で、いくつかの分野をまたがった学びが必要だ。その為の入試改革だったりするのだが、入試問題が難しいとかね、外野から不思議な声が聞こえてくる。

詰め込み教育は反対だとかね、詰め込まなかったら、それを活用する知恵など何の役にも立たない。チャットGPTが全部教えてくれますとか言うのかもしれないけど、一々「教えてGPT」なんてなったら、GPTも成長を停めてしまって、結局、人類の知恵はそこで終焉を迎えるなんてことになってしまう。知らないことを知りたい欲望こそ、人間の有り様だと思うし、与えられることを拒否することも大切なことだ。例え遠回りになったとしてもね。

全ての領域でプロになんかなれない。一本はプロでその他は二流でも良いのだ。でも、三流では駄目だ。論文位は読めないといけない。それくらいのリスキリングが求められている世の中なのだ。そして智慧の獲得は無料であってはならない。自らを磨くためには身を切る努力が必要だ。何でも与えられる世の中は間違っている。身銭を切るからこそ艱難辛苦何時を魂とするのだ。甘ったれるな。