温故知新

10年以上も前の講義資料を見直してみたのですが、ある時、突然、芸風がかわってるのですな。自ら得た知識を、他の方に活用して頂けるように自らの知恵に昇華させて、それをツールとして伝授するのが授業と言う技なわけだけど、劇的に変化するさまが面白い。年齢で言うと40代半ばからと言うところで、まぁ、いろいろあったころですな。単に経験と知識が増えてきたと言うだけでは無くて、一緒に活動してくれている学生の仲間達からの影響も濃かったことでしょう。

自らの資料の殆どが電子化されているので、宿舎でも延々とお仕事が出来てしまう恐ろしい環境になっているわけで、調べものと言う点において恵まれた時代である。あの頃、何をどのように考えていたのかしらと、時代と思考の関係性を眺めていると、実に愉快である。当時は、真面目に経産省の資料の切り貼りなどもしていたから、国の助成がどんな方向に向かっていて、その金額の大きさも見えてくる。研究テーマなどもそれへの挑戦も含まれて来ていて愉快である。

極めて大きな挑戦的なものも作っていて、日本の偉い、それこそ、有識者の皆様に鼻で笑われて、その後、海外の大学で、類似テーマの挑戦が始まった時には「日本を飛び出そうかな」と、まだ若かったから思ったものだ。なんで踏みとどまったかと言うと、やっぱりどっかの国から人がやってきて、技術を求められたからで、国への恩返しなどと思ったからだ。度胸が足りなかったということなのかもしれないけれど、必死に講義に取り組んできた姿が浮かんできて愉快である。

記憶に残っていて、でも、それを見返したいのだけれど、何処かに失せてしまっている。そうなるとそれが妙に重要なシートだったのではと悩んでしまうのだが、どうせ、自分で思いついたことであって、新しく思考しなおしてしまえばそれまでだ。そうなのだけれど、なんか記憶に引っかかって、無駄な探索を繰り返す。キーワード検索もしてみるのだが、それすらヒットしてこないところを見ると、大したことは無いのだ。しかし、その過程において、こんなこともあったなと、温故知新である。自らの棚卸も重要であるなと、起業に向けたメッセージを自分に向けても愉快だなと思った次第である。