お役所と有識者の皆様のご意見の中に、大学への税金投入は無駄だから、GDP向上に寄与出来る可能性がある企業の研究体制強化に税金を投じるべきだというのがある。それはそうかもしれない。我が国の論文創造力が減じたのは、バブル崩壊の後に企業が中央研究所を廃し、基礎研究を放棄して、論文を書いている者を放逐していった時期と一致する。粗利の一定量を未来投資することを止めて、拝金主義に陥った結果であるのだが、そんなことは有識者は忘れてしまっている。
未来投資を人づくりでは無く、企業に税金を投じることで、未来への競争力が獲得できるのだという考え方だが、鶏か卵かの議論はさておき、企業にお金を投じたとしよう。現状の人員だけで一人当たりGDPを世界3位くらいまで、一気にジャンプさせることが可能と言うことか?可能なのかもしれないが、承継者は必要ないのか。それまでも企業が担うということか。
まぁ、考えてみると、企業が人材育成を手掛けるとして、税金をそこに投じるとするならば、企業が粗利を次世代の開発に投じて、効率が良いということなのかもしれない。そんな効率に掛けるしか、日本に道は無いのかもしれない。無数に存在する大学に分散投資するよりも、技術の承継と発展には必要なことなのかもしれない。ただし、前提があって、企業群は明確なビジョンを持っているからこそ、国を導く人材の育成が可能になるということだ。単に銭儲けの学びだけをするのでは駄目だ。
今ある事から、次にはこれが出来るだろうという発想は、ちょっと脳を鍛えた人ならイメージできる。失敗を恐れず、いや、失敗を当たり前と思って挑戦に挑める人であれば、フォアキャスティングで次に迎えるだろう。しかし、国を導く者はバックキャスティングで思考を制御する者だ。フォアキャスティング思考の教育をやってきたから大学は要らないと言われてしまった。これは反省するべきで3ある。大学はまだ必要なんだと有識者に意識させるためには意識の改革が必要である。既に崖から落ちている事態を認識するべきだ。