博士

人材不足という言葉が安易に飛び交う。上司の言うことに馬鹿正直に「はい」というだけの人を求めるのであれば、ChatGPTの有料版を活用すればよろしい。今のところ、世界中で育て始め、使われ始めたところだから、使いこなし続けることで、得られる機能は無限と感じる。これはインターネットビジネスを「こんなもの、おたくの道具だ」と無視して滅んだ日本のマーケティングを想起させる。あんなものは「まだまだだ」と思っている時点で既に退場組と言えよう。

日本人は真面目でこつこつと取り組むと言われるのだが、全ての人がそうではない。断言する。そうではない。小生は祖父母や両親からの口伝でしか、先の大戦の悲惨さを受け継いでいないが、そこから立ち上がる強靭さにおいては、正に七難八苦を精神力で切り抜けてきた国民性を感じる。その方々と対決できるとするならば、そこには「おたく」が必要である。現代において、どこにおたくが居るのかと言えば、それは「博士過程学生」である。

72時間、材料と戯れ、シャワーを浴びて再び72時間、研究に没頭する。オーバータイムの給与の上乗せをよこせなんて言わない。真理の追及に全てをささげるのだ。いや、そんな意識もない。ひたすら打ち込むのだ。それが博士課程学生だ。そのおたく道こそが我が国経済発展のキーだと思っている。しかし、日本人の博士人材が加速的に減少している。博士は使えないとか言っている企業が多く、雇わない。雇っても4年生で入った社員さんが、同じ年齢になった時には、博士取得者の上司となって「人が有する機能」にリスペクトしない。

そんな企業の商材が世界での競争力があるはずがない。人を喜ばせるには、喜ぶ人をリスペクトするところから始まる。日本人博士学生が少なくなっているから、海外の留学生に国の税金を使って博士を取得させることになる。技術は国に残らず、次世代の教育者として根付くこともない。これで国の技術力が上がるわけがない。ねちっこく力を醸成し、それを機能として社会に変革をもたらす。それを活用する側は「任せれば良い」のだ。グループリーダーとして活躍できる場は沢山ある。全ての企業に一人は博士人材がいる。そんな国になった時、貿易赤字は解消するかもしれない。そう思う。