イノベーションとか、新規事業とか社会はうそぶくけれど、そんなもんをリードできるのは博士だけだ。日々の活動で血を滲ませ一歩間違えたら命を捨てていたかもしれない、そんなぎりぎりまで追い込まれてもいないくせに、頑張ったのに認められないとか、ふざけるな!学位記獲得は遊びではない。そうなのだが、頑張ったけど認めてくれないとかね。そんなことで、カウンセラー殿が出てきて「今の人達は昔と違うのですよ」と言われて納得できるか?
複雑で課題困難な社会の状況において、困ったら助けて欲しい、支えて欲しいと安穏と言える。ふざけるな!助けなどない。当たり前だ。何故なら挑む課題は世界初だ。何人も経験したことが無い課題に「もしも」挑んでいるのであれば、助けなどありえない。そもそも考えない。それがどうも「努力しても報われない社会だから、やる気が出ないのだ」と自らこそ正義だと言う。ちゃんちゃらおかしい。笑ってしまうぞ。
苦しい仕事を行うことは間違っていると、正義面する輩のなんと多いことか。私の意見と違うことを上から目線で押し付ける上司は間違っていると威張る。そうかもしれない。でも、本当に努力しているのか?努力ってなんだ?自らの能力の限界を発揮した瞬間が努力だし、その結果、更に成長して、自らにしか達成できないお仕事が出来た時、それは努力だ。でも、次の瞬間、他者に「おまえはいらないよ」と言われるほどに追い抜かれるかもしれない。その時、諦めずに新しき事を社会に生み出す。それが努力だ。
どんな言い訳も無い。でも言い訳しかない。言い訳しか聞けない。それは楽でしょう。出来ないことは言い訳で成り立つ。出来た理由は根拠が必要だ。わがままとエゴで出来ないと言う。それを認めろと言う。僕は本当に出来た理由だけが欲しいのだ。でも出来ない言い訳だけを聞かされる。自分自身、この時代には無用な人間であると理解してる。しかし、挑戦とはそんなところからであろう。結果は問わない。大切なのは挑戦すること、挑戦し続けること。貴方はできた。だから明日が見えたであろう。明日はそんな人にしかやってこない。そんなもんだ。