老害

目先の事は大切だと誰もが思う。それはそうだ。今の困り事をほったらかすわけにはいかないし、今の事に集中していたら、何かやっている気になれるからね。どれだけ先のことを考えられるかなのだけれど、先人が遺産として今を準備してしまって、今の人が身動き取れないなんてこともあるなと感じることがある。

今の若い人達はと、多くのご同輩が仰るのだが、それはどうかなと思う事もある。今の時代の主役は、これからを待つ人達なのであって、昔はこうだったと懐かしむ人達は既に化石なのだ。新しいルールに合わせられないから、無理矢理、過去に今を合わせようとする行為は老害だ。

私達はこれが得意だと仰る大企業の皆様がいらっしゃるが、それでは何故、日本の貿易赤字が増え続けるのだ。世界から認められないレベルの商材しか作れないからだろう。企業レベルの老害である。ここには過去に売ってしまった商材の補償のために過去を作り続けないといけない呪縛がある。すると、過去が胸を張ってくる。自分の目が黒いうちはなんてのは、最も忌むべき老害である。

今のやり方を取り入れようとすると膨大な投資になるからやらないと言う。本当にそうか?地球上を埋め尽くす自動車だが、自動車を作り続けるために人間は存在するのか?地球温暖化抑止と叫びながら、自動車に乗って移動を続ける人達。自動車を莫大なエネルギーで作る人達。どうも違和感がある。これも老害思考か?新しくあること。難しい。