ChatGPT考

いろんな「なんだかなぁ」がある中で、世界中の大学がChatGPTの出現であたふたする姿は、正になんだかなぁである。だって、とっくの昔にその出現は解っていたわけで、ワトソンの次に来るのはそんなもんだろうと誰もが思っていたのでは無いのか?使用禁止とか、ChatGPTの出力を手直ししたら良しとかね。既にAIに脳を乗っ取られている人種の、何とも柔軟性の無い事か。ビジョンがあって、それを叶えようとするのが研究テーマであろう。そのビジョンがしょぼいからAIに全て上書きされることになる。そんな研究者はそもそも無用と言う事だ。

近未来に、今、小学生の低学年くらいがChatGPT世代と言う事で、Next Z世代ということになるのでしょう。生まれながらにネットワーク環境が整い、データの中から取捨選択をして、価値観を同じくする人達で繋がっていく世代。それが問い掛け方によって返答が変わってくるAIの出現によって、単に検索上手ではなく、問い掛け上手、即ち、会話上手が先行する時代。大学や企業で問いかけられて、ChatGPT以のを回答をしない者は仲間外れとなる時代だ。

授業にノートPCやタブレットを持ち込み、生徒はどんどんと疑問を喚起され、ChatGPTなりで自分への問い掛け力、質問力を鍛えていく。答えられた解を適切に判断し、AIサイドを育てていく、そんな関係性では無かろうか。大切なのは自らが「何故、今、『自分は何故が喚起されたのか?』」を解きほぐす能力を持つことだ。自らを客観していく、そして他者の価値観を推測し、その上で、対話を成立させていく。多くの者の議論の有り様も変化して当然だ。人間だけで陳腐な「解答」と思われるものを創り出して、傷をなめ合う時代は終焉を迎えたということだ。

よりによって文科省迄がChatGPTに振り回されている。国会答弁など、日本の政治家レベルであればChatGPTに置き換えれば宜しかろう。かなりの部分が補えるのではないか。大袈裟ではあるが、いずれそうなるのであろう。数年前にAIがシンギュラリティに達したら要らない職業というのが公開されているが、既にそれに到達しているのだと感じている。どんどん使い、満足のいかない解答はどんな質問であったのかを共有し合い、満足する方向に育てていくことが涵養だ。機械に使役・駆除される時代が来た。それだけのことだ。