まだまだ省エネ

エネルギーを使わないところまでいくのかというくらいの、省エネ技術。自然の力を頂戴して、人間の都合に合わせて道具を作っている姿は美しい。いろんな評価をさせて頂くのだが、いったい、何処まで省エネって出来るのだろうかと思うくらいに、様々な省エネ技術が生み出される。その省エネ技術達成の為にどれだけのエネルギーを費やすのかと呆れかえるほどだ。勿論、ランニングということで、長期に亘って省エネを実現しつつ、便益も失わないということが重要なのは間違いない。

焼き物を作る粘土を、より粒子を細かくするために唐臼と呼ばれる川の水流を使う杵があるが、ごっとんごっとんと暢気だが、確実に仕事を進めてくれる。人間のほうも、その杵の働きに併せて焼き物を作っていくわけだから、自然との見事な共生で、お仕事の有り様を示してくれている。温暖化による気候変動で、日本の河川がどの様に変化していくのか恐ろしいが、唐臼のような自然エネルギーを活用するお仕事の有り様は変わって欲しくない。

ドイツの英断はすさまじく、原子力発電所を電力グリッドから外してしまうという、日本ではあり得そうもない行動に出られた。太陽光発電や風力発電に大きく舵を切るということなのだが、それはそれで大変な事だろう。巨大な風車や大面積を必要とする太陽光発電にしても、寿命はそんなに長く無い。巨大風力になれば成る程、軸受けに掛かる力学的作用は大きくなり、太陽光パネルとて、面積が広がれば広がるほど、断線等故障発生確率は上がってくる。リサイクルにも相当のエネルギーを必要とする。

こうやって戯言を入力するのだって、PCを駆動させて電力を消費しているわけだ。こんな駄文など無い方が宜しいわけだが、飽きもせず、エネルギーを消費し続けている。思い切りが必要である。休めない日本人が休めるように、5月連休は何が何でも10日連続でカレンダーを真っ赤にしてしまうとかね。目の前の書類が省エネという単語を想起させたのだが、まだまだ技術において省エネは達成されるべきだ。それは間違いない。何処かで限界が来るのだろうが、その時は、仕事をしないとかね、そんな思い切りが必要な時代が、もう来ているのかもしれない。そんな気がする。