隣の芝生は常に青いのだが、それに気を取られて足元の可憐な花に気が付かなければ愚か者だ。近しい方から近江の国のこの景色に出会いたいと言われたのだが、そんなもんあったかな?という状況にあった。1980年代にプロジェクトがスタートして、今は立派な観光地になっているらしい。地図で調べたが「そんなとこ行かないよ」という、まぁ、水たまりの反対側であって、意識もしてこなかった。
近江八幡の和菓子屋さんが、派手なアニメに出てくるようなお菓子の丘を作ったりして、そこそこ話題が出てくる水たまりの国なのだが、そこに居ると水たまりの反対側など気にもしない。個人で船を持っているわけでは無いし、夏は蒸し暑いし、冬は寒いし、ろくなもんではない。最近、別の近しい方が出掛けますよということで、見どころを教えて欲しいと言われたのだが、記憶の範疇でお伝えはしたものの、足元の芝生は見えていないので、ご案内が出来るものでは無い。
もっと良いところは沢山あるだろうにとは思うのだが、藤原仲麻呂の終焉の地に興味を持つ人などはおらず、随分と古くからの遺構だったりお寺だったりがあるのだが、どうもあの巨大な湖の存在感に勝てるものなど無く、水たまりの縁は目に付くから行ったりするのだけれど、ちょっと奥に入ってしまうと、その存在すら意識に入らない。その近しい方も「えっ、そこに行っていないのですか?」と驚いたりもしたのだが、それはこちらとて同罪で「そんなところは知りませんでした」と知らないの応酬である。
折角の連休がもうすぐやってくるわけで、今年はちょっと水たまりの周辺を探ってみようかななどと思っている。思ってはいるものの、本当に行くかどうかは解らない。高速道路は混雑するし、水辺の道路は逃げ道が無く、行く前から気分が滅入るのが水たまりの国の有り様だ。どんどん寿命が尽きてくるから出歩かないといけない。いけないのだが面倒が先に立つ。地元とはそんなところだろう。話をしていてそう思った。