毎年大略10万社に満たない企業が生まれ、そして廃業していく。近年は起業よりも廃業が多いと言われているが、大略どっこいどっこいで推移している。100年企業の廃業は、老舗旅館とか、サービス継続が困難になった等々、様々な理由があるわけだが、継続の困難さは、3年未満の廃業が相当数あることから、国がベンチャーの起業を促したいということに対して、無責任さを禁じ得ない。ただ、新陳代謝が必要なのは間違いないし、新しい時代に必要なビジネスは、その年代の者がリードするのが良いという観点からは、学生起業者の増加を望むのは小生も同様。
取り敢えず起業だけしようなんていう冒険家は少ないとは思うのだが、お作法があるのは間違いなくて、そのお作法を無視して「何とかしろ」という声が上がってくるのは、ご高齢の偉い皆さんからだが、お作法をお伝えしても無視されてしまうのが辛い処だ。アシストする組織に居るわけだが、MOTの流儀で議論して「こうして下さい」というベクトル合わせをして挑んでいこうということになるのだが、作れば売れると思っている者の耳にはなかなか届かない。
新聞等では「市場を創れ」なんて簡単に言ってくれるわけだが、GDPが低下しているということは市場がそもそも疲弊・縮退してきているからで、且つ、新規参入を拒む閉鎖性も相まって、我が国では「市場を創らせて大企業が盗む」ということが繰り返され、若者は海外に脱出して起業し、利益の獲得に繋げている。こんな状況を見ていると、イノベーションは益々我が国からは生じにくくなるのだなと、高齢者の投票率だけが高い我が国の未来を憂うるばかりである。
アウトカムズという単語を聞いたのはJABEEの審査員講習会でであったが、自らは何が出来るというアウトプットでは無く、アウトプットが他者にどのように働き掛けが出来、その他者が自らが元来持つ機能をアウトプットが高めることによって、更に他の者に幸福を伝播していく機能がアウトカムズであるのだが、アウトプット表現だけで「起業したい」と言い切ってしまう。市場も機能も評価できない状況だ。自らをアウトプット、即ち他律機能で表現する。そのトレーニングをする場は子供の頃からの教育にあるだろう。大学では遅すぎるのだ。