若返りは?

1993年の事だから、既に30年も前の事だ。光陰矢の如し。自ら実感している。当時、HP100LXという電脳を持ち歩き、お仕事に、趣味にPCをどの様に活用していくのか、面白おかしく研究し合うというか喋り合うというか、そんな目的で名古屋携帯PC研究会を立ち上げた。Newtonデバイスという、今でいうタブレット端末もあり、不具合が多い故に面白さは格別であった。何かを成し遂げたいという気持ちが、周囲を巻き込んで動かしていく実感があった。

文科省が大学を3種分類して、それぞれに個性を出せと、いわば本社命令を下してきている。没個性はそのまま没ですよということだ。安定しているとついつい没個性になりがちである。それを今、一番恐れている。お隣には東山連合大学が聳え、常に捕食しようと虎視眈々と狙ってきているわけだが、同じ色に染まってしまえばそれで終焉である。次の一手が極めて難しい。難しさを加速させるのが受験生年齢者の減少であることは言うまでもない。

減少しても大学として自堕落せずに、教育も研究も有為な人材を育成するために全力を尽くしますと言い切って、地域社会の知恵のハブとなっていれば良いわけだが、ChatGPTをどうしようなどと言っているようではおぼつかない。AIを使いこなしてその発展に寄与して、どんどんと電脳を賢くしながら、自らの個性を発揮できるような世の中に変革していこうとする若者をリードする、教育と研究の有り様を作り込んでいくフェーズである。そうなのだが、なかなかにして難しい。

難しくしているのは自分達であるのだが、何というか、リーダーにしても我が国は何故かそれなりの年齢の方が収まってしまう。ほぉっと思ったことがあって、昨日の衆参補欠選挙で、30歳代が3人、40・50歳代がそれぞれ1人と若い方が立ち上がってくれて来たなと感じたことだ。大学なども思い切って40歳代中ごろくらいの方に立ち上がって頂きたいのだが、一方で、研究者として油の乗り切った方に政治をやってくれとはなかなか言いにくい。人は心を人の為に尽くして人だろう。年齢は関係ないのかもしれないが、思い切った若返りがどこかでやってくるだろう。そう感じる。