マスコミだけかもしれないが、AIは危惧するべき対象であると大声が聞こえてくる。人間中心のルールが有るべきだという、耳障りの良い言葉を強調している。一方で、生成型AIを発展・活用する企業も生まれてきて、それは喜ばしい事だ。そもそも論である。道具である。作業ロボットが良くてAIがダメとは何事か?男女共同参画だの、ダイバーシティだの聞こえてくるが、それを加速させる道具である。現状を遥かに超える投資が必要である。
勿論、AIに何をさせるのかという議論は必要であるし、研究も見えない部分で盛んに行われていることは間違いなかろう。10年前の講義ノートを使って講義を展開するような講師はご退場だし、小学生のITスキルに追いつけない教師も同様だ。ただ、教育の為に欠ける時間よりも、総務的な仕事に時間をとられ、研究や教育に時間を割けない現状はもっての他である。それもAIやロボットに代替させられる部分は極めて多いのだ。それを人海戦術でこなすことが正しいのだという旧態依然の脳内構造が潰していく。
10年後を考えれば、22歳で大学を卒業した者は32歳である。企業においてはバリバリ(死語か?)の者である。その人達は既にChatGPTは当たり前の脳内構造であって、その人達が油にまみれるのが正しいのだ、上司の罵声を浴びながら仕事を覚えるのが正しいのだ、スキルアップは対面に限るなぁんて会社に入りたいわけが無かろう。人間中心と言うならば、問題を生み出せる思考能力を備えた学生を教育出来ねばならぬ。そんな組織へ転換せねばならぬ。
10年後の社会状況を想像するのは難しい。難しいと感じてしまうのは正解を求めるから。そんなもん解らないけど、少なくともスキルをAIと共に身に付けながらAIを育てていく環境がベースにあろう。曖昧表現はAIが直ちに共通言語に置き換え、健康状態は勿論の事、モビリティの活用状況まで全てデータ化されている時代であろう。工場は完全に無人であるべきだし、食糧自給率も100%を目指そうとしていることだろう。それには極端な転換が必要である。それは間違いないが、真剣に学びスキルを身に着けた若者が笑って仕事が出来る社会になることに投資がなされているべきだ。転換が遅すぎる。そう思う。