従前より挑戦したかったことに「ラーメンの麺をつくる」ということがあった。なんだそんなことかと先哲は仰るかもしれないが、うどんは打ってもラーメンの麺は打ったことが無いという、料理趣味の方は多いのではないか?ある時からラーメンブームと言うか、高級ラーメンと言うか、なんだか妙に高級志向と言うか、そんな方向性が見えてきて、TVでも有名店の味比べだのなんだのが放映されて居た中で、製麺工程がいくつか放映されていたのが気になっていた。
これは有名な話なのかもしれないが、1700年以上前というから、仏教が我が国に伝来する前の出来事だが、内モンゴルの湧き水で小麦粉をこねると、通常のうどんではない状態の麺が出来ることが見出され、それがラーメンの起源とのこと。そもそも我が国では中華?は小麦粉にかんすいを加えて練り合わせて製麺したものと定められているということで、かんすいなるものを入手しないといけなくて、面倒くさくてやらず嫌いというところであった。
生きている内にやりたいことはやっておこうという最近の意識から、まぁ、何かは出来るのだろうくらいの気持ちでやってみた。うどんは小さい頃から当たり前にやってきたし、今でもしばしば作っているからなんとかなるだろうと、天然かんすいを購入し、それでやってみた。なんとまぁ、うどんと違うこと違うこと。これが化学反応かというところで、手ごわい手ごわい。マーケットでの生ラーメンの値段を考えると、とても掛けられる手間暇では無く、これを自家製で行っていらっしゃるラーメン店さんに頭が下がるのだ。
リスペクトは自らやってみるところからだなと改めて思った次第である。完遂の威力でがっちんがっちん(大袈裟)のうどん粉玉となり、捏ねるどころでは無いのだ。太い青だけでぐいぐいと体重を使って捏ねている様を思い出し、その必要性を感じたのだ。自然のかんすいというものと小麦の出会いを承継された先人にも感謝するところだ。出来上がった麺の味はというと、一回目にしては上出来ではないかと自画自賛である。何十年もうどんを打っていたからということもあるが。趣味が一つ増えて、なんとなく嬉しく感じている。そんなところだ。