続けること

どこまで頑張り抜けるかと言うことだが、それはやってみないと解らないというのが答えだと思う。没頭して取り組むことができるターゲットであれば、恐らくだが、自分の命と言うものを失っていることすら解らずに取り組み続けるのだろう。土地に取り付く地縛霊などはそんなものかもしれない。縛られているのではなく、死んでいることを認識していないだけだろう。

研究などはその良い例で、何故やり続けるのかと言えば、それはゴールが無いからである。KGIはあったとしてもそれがどんどんと果てしなく発展を続けてしまうのだ。要素技術開発などは正にそれで、誰かがそれで良いよと言ってくれるわけではないから、自らが設定している「ここまでやろう」の達成が頭の中で見えてくると、見えないゴールに終着点を切り替える。

政治家諸氏が、当選したらやるべきことは次の当選と言うのが、その気持ちが分からなくは無いが、何もしないのに税金をさらっていく様は許されない所業だし、ゴール設定がおかしいだろうと考えるが、それを国民が認めているのだから仕方がない。それでも、80歳を過ぎているのに次の選挙でも当選しようとする意気込みは凄くないか?それを阻止する者が現れないのがこの国の哀しさだが。

果てしなく頑張り続けることが出来ることは、その人間の根本の、ある意味、強さなのだと思う。二、三年で職を転々とする方がいらっしゃるが、他者のせいにする会話があって辟易する。なんでも他人に押し付けるのは気楽で良かろうと気分を悪くしながら聞いている。逆に、今まで存分に力を得たから、それを活かして挑戦するのだという方のお話しは心地良い。そうありたい。