気がついたら6月も第二週である。災害をもたらした前線と台風だが、人間にとっては災害ではあるが、地球にとっては普通のことである。そのレベル感で自然とは付き合わないと、自分達が生きていられなくなる。コンクリートで地面の全てを覆ってしまおうなんて馬鹿なことをやりかねない人類だから、気をつけて見ていないといけない。自然破壊と観光が裏腹のように、折り合いをつけていかないと、実につまらない国で生きていないといけなくなる。馬鹿馬鹿しいではないか。
自然との付き合いということであれば、里山を手入れして、自然と共に暮らしていた過去があり、今がある。小生の親族などは今だにそんな環境で生活をしているわけだが、段々と子供がいなくなり、子供神輿などは出なくなり、時が経って大人の神輿も出なくなった。担がれる神は居るのかもしれないが、担ぎ手がいなくなってしまった。こうなると神様も困ったものだろう。土地の精霊と人との繋がりが途絶えてしまったら、精霊達はどこに行ってしまうのか。悩むことでは無いかもしれないが、ちょっと気になる。
大雨の後では必ずと言って良いほどに、土砂災害の報道がなされる。梅雨前線が台風に刺激されて大雨になりますよと、一週間前からかなり正確に予報されていたにも関わらず、自分は大丈夫だろうという、精霊と対話をしない状態で準備を怠っていると、なるようなことになってしまう。大鹿村の三六災害の時の崖崩れ痕を拝見したが、人の力など、何にもならないと学びがある。恐れるしか無いのだ。 人智が及ばない事だらけである。
人のできる事などほんの僅かだ。僅かだけれど、人同士だと、それが僅かでは無くなってくるから面白いのだ。誰かの為を想って行動する。組織の為を想って行動する。それが積もり積もって一つの事を成し遂げていく。できる事があったらやってみる。不完全になるのは当たり前なのだが、相手があることであれば、やらざるを得ない。書類仕事でも野良仕事でも同じこと。災害が過ぎた晴れ間を振り仰ぎ、今日もコツコツとやっていく。そんなもんだ。