お役所がホームページなどを通じて未来はこうなるよという「希望企画」みたいなものが沢山出ている。2040年や2050年というものが散見するのだが、それらは比較的明るい未来として描かれている。言いたいことは、少子化対策に予算原資の無い3兆円は無責任なんて事ばかりがやり玉に挙げられるのだが、未来はこんなに面白いんだから、そこに向かっていくための若いエネルギーが必要だという議論を聞いたことが無い。
人のライフに近い処で言えば、医療・介護の有り様や未病対策ということもあろう。医療費も介護費もゼロであるのが理想としてしまうと病院が潰れるからそうはさせないという団体が気炎を上げるとか、そんな状況を見ていると、折角の未来予測も何の役にも立たないなと虚しくなってくるわけだ。極めて長期に亘る縦割り行政が、いきなり横串が刺されるとは思えないのだが、未来予測を見ていると、その殆ど全てが学術・技術の横串によって横断的技術が生まれて実現するものとなっていることを思うと、人間の俯瞰的能力の発展が無いと、人類は滅亡するのかなと思ったりもする。
乱暴な言い方だが、それはいつもの事なのでどうでも良いのだが、「幸福」という求めるべき姿でさえどのような事象の関数になっているのか、無限に広がってしまうわけだが、それを思うだけで、とてつもなく広い範囲の知識が必要になっている。だからこそのAI活用という事になるのだが、教示データの質と量が必要になってくるわけだし、関数関係をと考えた時に、一つの行動が一つの要因から生まれているなどと言うことがほぼ無い事を考えると、教育も研究も、その有り様はどんどん変わっていかないといけない。
希望企画である未来予測であるが、希望すら失っている社会では余りにも寂しいわけだ。世界的危機が突発的に発生し、自国の努力だけではどうしようもない事象が発生し、物価は上昇、CO2は出してはダメとかで技術の進歩は必須であるが、それを研究する若者がこの国では減り続け、自国を当事者として見る者の減少は国家の危機であることは間違いない。光熱費を含めた物価が上がったのだから学費も上げるべきだと思うのだが、それを公費で賄おうとする流れもあるが、乾いた雑巾を絞ることになる。希望企画が目指す企画成ると良いなと、少しは明るい気持ちになれたら良いなと、日々思う私であります。